東京五輪開会式・閉会式のショーディレクターを務める小林賢太郎氏(48)は、お笑いコンビ「ラーメンズ」のメンバーでもあった。その小林氏が、ラーメンズ時代、お笑いコントのネタでナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコースト(大虐殺)を茶化していたことが分かり、問題になっている。小林氏はコントのなかで「本当?ああ、あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな」と発言しているのだ(「ネタde笑辞典ライブ Vol.4」1998年収録)。お笑いコントのネタなので、ある程度のドギツイ発言は許容されるのかもしれないが、これは論外であろう。
小林氏の発言があるまでの相方とのやりとりを見ても、なぜあえて、ここで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を入れなければならなかったのか、私には理解できない。私は拙著『小説アドルフ・ヒトラー』(全3巻、アルファベータブックス)を書くために、ホロコーストについてもかなり学んだし、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪問し、鶴の折紙を捧げ、追悼もした。そうした立場から考えても、小林氏らのネタを「お笑いのネタ」と笑って済ますことなど到底できない。
昔のこととは言え、小林氏らの「ネタ」が全世界に拡散されることは、日本(人)の恥であり、東京五輪にも泥を塗ることになろう。小林氏にはしっかりとした釈明の機会があるべきだろう。「ネタとは言え、なぜあのような発言をしたのか」「今はどう思っているのか」など記者会見を開いて説明したほうが良い。さもなければ、ユダヤ人虐殺を茶化したということだけが全世界に広められ、誤ったメッセージが伝わってしまうからだ。それは、小林氏のみならず、日本(人)全体のイメージ悪化に繋がりかねない。
私は安易な言葉狩りには嫌悪を覚えるほうである。失言・暴言があったからといって、一方的に攻撃され続け、再チャレンジの機会もないような社会はいけないとも思っている。ただ、特に、重要な立場にある人々には、しっかりとした自身の発言への説明責任があるのではなかろうか。全てはそこから始まるように思える。
開会式の音楽演出を担当していたミュージシャンの小山田圭吾氏の辞任は記憶に新しいが、なぜこうも問題発言をしていた人が起用されてきたのか。五輪組織委員会は「身体検査」がしっかりとできていないのではないか。