「空気」に隷属する日本人と吉田麻也選手の有観客の訴え --- 新井 将晃

サッカー五輪代表主将吉田麻也選手が五輪での有観客再検討を訴えた(全文/試合後インタビュー動画)。

吉田麻也選手 Wikipediaより

感動した。勇気ある発言だ。

恐らく主将として、特に人気種目のサッカーの代表としての義務感から、覚悟を持って多くの五輪の選手の声を代弁したのだろう。インタビュー中の様子から、いろいろな立場の人への配慮を意識した上で、批判を覚悟しながら意を決して発言しているのは明らかだ。また、海外にいる立場から、日本の現状について日本の為に問題提起したい気持ちもあるのではと個人的には思う。

これが仮に選手の我儘であったとして、選手が選手自身の望み、権利を主張する、それが一つの意見として尊重されるべきなのは当然の事だ。

五輪の選手は、五輪は、一生に一度しかないかもしれない晴れ舞台であり、まさにそれを人生の目標として今まで努力してきた。その舞台で最大限の力を悔いなく発揮したいと思うのは当然の事だ。また、自分の夢の為にサポートを受けている多くの人に対して、自分の活躍を見せてそれに報いたい、と思うのもまた当然の事だ。更に、五輪程の高い舞台に立つには人並外れた努力が必要なのだろうと思うし、それは、単に個人の夢という次元ではなく、自分の努力や成果により社会に勇気を与えたい、子供に夢を与えたい、とより大きな意義を見出さないと、そんな努力はできないと思う。だからこそ、有観客を望むのもまた当然の事だ。単に選手の我儘ではない。五輪開催、有観客の主張には血の通った社会性がある。

一方、選手、五輪関係者の望みを否定せざるを得ない程、五輪中止、無観客に科学的論理的根拠はない。感情に煽られた大衆へ迎合に過ぎない。

選手もコロナの被害があまりに大きく、中止、無観客やむなしというファクト、論理性があれば、多少の納得はできるかもしれない。しかし、日本におけるコロナの被害は実質ほぼない。欧州と比べると以前からさざ波であり、更に最近コロナ陽性者(≠感染者)は増えているが、重傷者、死者は増えていない。増えているのは感染してもすぐ治る若年層であり、重症率、死亡率の高い高齢者は、ワクチン接種が進んでいる為、死者は激減している。状況は欧州より日本の方がいいにも関わらず、EURO2020は有観客で大盛況、日本でもプロ野球やJリーグは有観客だ。無観客に論理的な理由はなく、大衆感情に迎合した政治判断に過ぎない。選手が納得しないのも当然だ。

五輪中止、自粛が絶対正義ではなく、反対意見にも正当性があり、単に私益の対立であると認めた上で、事実と論理に基づきバランスで判断されるべきだ。事実と論理なく、感情論の多数決とすべきでない。

どうも五輪開催、有観客、マスク未着用等は、個人の身勝手な行為、愛国的でないと主張しているように思える。しかし、身勝手なのは事実も論理もなしに多数決全てで、反対意見を否定する方だ。五輪中止、無観客を事実をあげ論理的に反対意見を理解してもらうよう主張するのならいい。無観客なら想定される人流増加は抑制されるからよい、開催には反対だったがするのならベストを尽くすべきといった意見はあってよい。しかし、実際には、反対派がこうした論理的な主張を冷静に展開する事は皆無で、単に多数決を絶対正義として、賛成派に罵詈雑言浴びせているに過ぎない。多数決は民主主義ではなく、多数派の専制こそ民主主義最大の脅威だ。

日本人の悪いところは、目的を自分で考えて自分で責任を持つ事から逃げ、「空気」に同調し人任せ、自分が批判されない事、ミスをしない事だけに異常に拘る卑怯さ、臆病さ、にあるように思う。

欧州ではEURO2020は大盛り上がりで幕を閉じ、マスクなどせず大盛り上がり。この差は何か?欧州人は自分の人生が第一、という考えは徹底しており、人間的であり、また多様な背景の人が共存する為、空気、同調という発想はなく、論理重視だ。「感染者?ワクチン接種で死者減ったんだから関係ない、自粛、マスクなんか不要、命が大事?いや、No Football, No Lifeだ、批判されないのが目的?自分の人生楽しむのが目的だろ」とビール片手に盛り上がる欧州人の姿が目に浮かぶ。欧州人が全て素晴らしい訳ではないが、こうした点は学びたいと思う。

日本人は、コロナでは迷惑かける事が悪とされ、法で強制しなくても、同調圧力で皆マスクをする。同調していれば批判されないので、論理や自分の目的、考えを持つ事は寧ろ身勝手、悪とされる。正義の定義は「空気」、数であり、少数派=悪となり、一部は正義の名のもとに少数を糾弾し、その他多くは何となく多数派にポジションし、批判から逃げる沈没船のエスニックジョーク)。日本人の目的は批判されない事にある。人生の意味を考えない。だから、五輪より命が大事となり、人生の意味を五輪に見つけ努力した人を理解できない。

テレビは寧ろ空気を煽るよう作用する。事実をなるべく伝え視聴者の判断材料を提供する、という報道本来の目的は完全に忘れ去られ、普通の番組でも統計を無視し、日本が悪いという強引な事実歪曲が常態化している。この理由は感情的な多数派から批判から逃げる保身にあり、事実に気づきながら赤信号みんなで渡ればと社会を破壊している。状況を悪化させるのは、寧ろインテリで、テレ朝「モーニングショー」に典型的なように、視聴率か単なる虚栄心を動機に、多数派に迎合して、政府は弱腰と、過激な主張で感情を煽る。ここにきて五輪に否定的なネタが続出しているのはメディアが大衆に迎合し、「呪われた五輪」と煽っている為と思われる。社会の破壊、国際公約の放棄は考慮されない。呪ったのはメディアだ。メディアが日本を戦争へ導いたのと全く同じ構図だ。

事実ではなく空気を恐れ、選手の情熱に応えられず、国際約束を果たせそうとしない、文句だけで何一つ大事を成す事が出来ない。日本人として、こんなんじゃ情けなさ過ぎないか?

自分の主張を吉田選手の主張とするのは迷惑になるので言いたくない。ただ吉田選手は、ここでいう卑怯な日本人ではない。自己を超えたものの為に自ら正義を定義し、空気に屈せず、勇気をもって自己責任で世に問うている。カッコよかった。こうした姿勢が子供に夢と勇気を与える。

新井 将晃(あらい まさあき)システムコンサルタント
1975年、埼玉県生まれ。上智大学法学部卒。外資系IT企業に勤務し、システム導入を支援。外資系企業勤務の経験を活かし、政治、経済等について、ブロク執筆中。