五輪開会宣言で起立は誤り&立憲民主改め廃憲帝政党

皇室の不敬という言葉を使うのは、よほど皇室のことや歴史を知った上にした方がいい。また、世界の王室についての知識もなければならない。国際化が進むと、日本人の基準を外国人に押しつけるのも難しいし、国際的なイベントで日本の習慣を 押し通すのもほどほどであるべきだ。

保守系の人が戦前なら不敬だったといって現代人に押しつけるのも滑稽だが、一方で、どこの国でも君主であるとか皇族、元首などに払うべき敬意とされているものはあり、それを左派リベラルの人といえども無視すべきでもない。

NHKより

そういう意味で、陛下の開会宣言の際に菅義偉首相が最初座っていて、途中から小池知事とともに起立した事件も浅薄な批判記事が世の中にあふれている。

たとえば、鳩山由紀夫元首相は、「天皇陛下が心ならずも五輪の開会宣言をなさったが、隣の菅首相や小池都知事は途中まで立ち上がることをせず座ったままで聞いていたことが世界に知られることとなった」と「彼らは天皇を都合よく使うことには長けているが、天皇を尊崇する気持ちはさらさらないことが天下に明らかになった」と妄言を吐いている。

そして、保守派だ、歴史家だと称する人物からも知ったかぶりの批判が寄せられた。しかし、私が過去の画像を軽くあさってみたら、1964年の東京五輪の際の昭和天皇による開会宣言の時にもほかの参加者、とくに、陛下の周りの人たちは座ったままだったのが出てきた。札幌五輪、長野五輪のときも同様である。

ただし、こういう場合には必ず着席で一緒に立たないものだというものではない。私もどういう場合にどうだというほどの自信はないが、どちらが正しいということはない。海外はどうかといえば、起立している場合が日本より多いようだ。

私がFacebookに「1964年の昭和天皇の開会宣言の時にみんな座っているんではないでしょうか。もしかして小池知事が勘違いして立とうと誘っておかしくなったのでは?これはあまり簡単にどっちが正しいと言えないかも」ということで、東京五輪の写真を添えてFacebookに書いてスクショを添えたら、あちこちで広くシェア頂いているようだ。

なんであんなことになったか分からないが、シナリオでは座ったままだったのに、バッハ会長か誰かが間違って立ってしまい、恥をかかせないために菅首相たちも立ち上がることにしたことにしたのかもしれない。

「立憲民主党」は「廃憲帝政党」に改称したら

ところで、その鳩山由紀夫元首相の側近として知られる、立憲民主党政調会長代行の川内博史衆院議員がツイッターに「陛下が開会式で『大会の中止』を宣言されるしか、最早止める手立ては無い」と投稿してあとで削除した。

もはや、「立憲民主党」改め「廃憲帝政党」を宣言するつもりなのといいたくなる。