首相、知事が着席不敬問題の本質 --- 半場 憲二

2021年7月23日夜、オリンピックの開会式のことでした。その様子を多くの国民が目撃したのではないでしょうか。翌日のインターネット記事では「天皇陛下の開会宣言開始時に首相、知事が着席 「殿様気分」とSNSで批判」(日刊スポーツ)、「天皇陛下の開会宣言に着席したまま…菅首相に「不敬にも程がある」と非難の声」(Smart FLASH)と書かれています。

着席する首相・東京都知事 NHKより

国家元首の開会宣言では、過去に来賓が着席したままの姿もあるから、「失態だが、不敬だとかいう話ではないだろう」というものもあります。ですが、私の場合、二人が着席から急遽起立した際の映像をみながら、案の定「日ごろの悪い癖が露呈したな」と思いました。

第一に、東京都議会議員選挙前のことです。「倒れても本望」と発言し、聴衆を引き付けた矢先「過度の疲労」を理由に入院します。都民ファ―スト候補者の応援は不可能だといわれました。しかし選挙戦終盤、小池知事がマスコミの前に姿を表したのは記憶に新しい。『風がなければ、自分で風を起こす』とはよく言ったものです。女性初の経済キャスター、防衛大臣、知事、総理の座と狙い、全ての言動を自身の支持へつなげようと考える人物です。リスクを恐れず、敵をつくり攻撃し、時に利用する。話題づくりに事欠きません。今回も政局や国政復帰に繰り返し利用されることを想定してのことかもしれません。天皇陛下と同じ舞台に立つことができた知事が、これを利用しないと誰が言い切れるでしょうか。SNS上で多くの人が言わんとする「不敬にも程がある」という非難の声は、後日正しいと証明される日がくるかもしれません。

第二に、小池知事はまもなく古希に差しかかる年齢ですが、古くからある疑惑が付き纏っています。例えば、作家の黒木亮氏は「卒業証書類の公開の件に限らず、小池氏の答弁は嘘と誇張が多い」「カイロ大学を卒業したという小池氏の主張は、まったく信用できないと感じるのは、筆者だけだろうか?」と述べています。石井妙子氏の長年の取材をまとめた『女帝』(文芸春秋)が出版されると、彼女の半生が鮮明に浮かびあがります。大学卒業の記念撮影を行いますが、赤い模様の入った着物を左前(筆者注:亡くなった方の着方)に着るという失態をピラミッドの上で演じています。首席で大学を卒業し、アラビア語通訳者として国際感覚を養い、政界へ転身後は多くの要職に就き、要人と接見したはずです。残念ながら、礼節や立ち振る舞いというものは一夜にしてなるものでなく、連日目にする小池知事の防災服姿がそうであるように、どんなに着飾っても、気を抜いた瞬間その素性をあきらかにします。

第三に、東京都が使う言葉に気になるものがあります。「レガシー」です。現代はインターネットやマスメディアを通じ、良いニュースも悪いニュースも世界中を瞬時に飛び回り、繰り返し利用されます。今回のオリンピック開会式も例外ではありません。陛下が凛としたお姿でおかけになり、首相が背もたれにふんぞり返って座る姿が、世界中に知れわたりました。これをうけ、陛下がお話になる際は着席のままか起立するかといった問題は、国内だけでなく国際的なイベント等の主催者らの恣意的な判断に委ねられ、悪意をもって引き継がれる可能性を否定できません。

東京都HPより

世界には日本の地位低下を渇望してやまない国や人物が存在します。首相と知事の「失態」が今後の皇室外交や陛下の行幸に影響するかもしれません。日本のことであるから日本国民が決定するものですが、憲法改正で「天皇陛下の位置づけ」はアジア諸国のみならず、世界の注目を浴びます。この重要な時期に二人が残した「負の遺産」は決して小さくありません。

オリンピックは五日目(27日現在)、私自身がそうなのですが、日本人選手たちの勇姿に感動し、なんとなく気分もよくなってくる時期です。しかし国内のコロナ感染者数は増加し、五輪開催によって世界中の変異株が東京に集結している可能性もあります。だからこそ、わたしたちは、失態の数々を続ける為政者に対し、厳しい目をむけ続けることを忘れてはなりません。

(参考サイト)

「天皇陛下が五輪開会宣言中に着席の菅総理と小池都知事が起立した件のまとめ」
「再燃する小池百合子の「学歴詐称」疑惑…首席も、卒業すらも嘘なのか」
「五輪の収支決算を開示せよ。菅政権の狙い通りに国民熱狂、あとに残るは廃墟と借金」
「大会後のレガシーを見据えた東京都の取組-2020のその先へ」 (令和3年7月)

半場 憲二(はんば けんじ)
メンタル心理ヘルスカウンセラー 福祉心理カウンセラー 日本語教師