五輪スポーツ選手と「心の健康」問題

人間は心と体から成り立っている。体が健康であっても心が病んでいる場合、その人は幸せではない。オリンピック大会に参加するスポーツ選手の体力は通常の人より強靭だろう。しかし、心はどうだろうか。そんなことを考えさせる出来事が増えてきた。これは東京夏季五輪大会と直接関係があるというわけではないが、新型コロナウイルスが世界を席巻し、パンデミックとなった今日、一層、心と体の葛藤が浮かび上がるケースが見られる。

東京夏季五輪開会式で聖火台に火を灯した大坂なおみ(2021年7月23日、オーストリア国営放送の中継から)

米女子体操選手で今回の東京五輪では金メダル確実と見られ、期待されてきたシモーン・バイルス選手(24)が27日、女子団体戦を途中棄権し、29日には女子個人総合に出場しないと表明、関係者を驚かせた。前回のリオ夏季五輪大会(2016年)で4個の金メダルを獲得した米女子体操界のエースに何があったのだろうか。バイルスは「精神的な理由から」とだけ説明しているが、関係者は、「彼女は過度なストレスで精神的バランスを失っている」という。バイルスは、「人生は体操だけではない」と主張するなど、体操への熱意を急速に失っているのだ。

プロ女子テニスで大坂なおみ(23)は東京五輪大会の開会式で聖火ランナーの最終走者として登場したが、彼女は全仏オープン大会で記者会見をキャンセルし、その後「しばらく静養する」と宣言、ウインブルドン大会を欠席し、今回の東京五輪大会のテニス競技まで実戦から離れていた。彼女は「2018年全米オープン後、うつに悩んできた」と関係者に語っている。

バイルスも大坂も大きな大会で勝利し、そのネームバリューで世界の一流企業からスポンサー契約を得るトップアスリートだ。例えば、大坂は東京五輪大会参加選手の中で男子テニス界第1位のノバク・ジョコビッチ(34)に次いで高額所得者だ。名誉と富を得たスポーツ選手。それが突然、燃え尽き症候群(バーンアウト)のように、競技や試合する気力を失うことがあるわけだ。

バイルスの場合、体操は常に危険が伴う。競技で失敗して怪我をする選手は少なくない。バイルスは10代の時は自分が怪我をするとは考えなかったが、24歳になって「もし怪我をして身体障碍者になったら大変だ」という思いが湧いてきた。一度、不安を感じ出すともう演技ができなくなるのだ。心理学的には不安恐怖症と呼ばれる現象だ。危険が伴うスポーツ競技の場合、突然、競技に不安を感じ出すという選手は少なくない。

過去、多くのトップ選手が心の病になって第一線から退いた。幸い、それを乗り越えて輝かしい成績を残した者もいる。五輪史上、23個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(36)は小さい時、学校でもジッと席にはおれず、動き回る多動性障害児だった。母親は水泳を通じてマイケルのエネルギーのはけ口としようと考え、水泳を学ばせたという話は有名だ。彼は伝記の中で「自分はうつで自殺をしようと考えたことがあった」という。

また、オーストラリアの水泳選手、イアン・ソープ(38)は2000年、04年の両五輪大会で5個の金メダル、3個の銀メダル、1個の銅メダルを獲得した英雄的な選手だったが、早期引退している。その後、イアンの生活は乱れ、路上で倒れていて収容されたりした。イアンは麻薬に手をだしたりもしていた。彼は後日、自分が同性愛者であったと表明し、うつ病を悩んできたことを告白している。

バイルスや大坂は最高潮の現役時代、自身が精神的な病にあることを告白したが、マイケルやイアンは現役のピーク時代ではなく、引退前後、自身の精神的問題を明らかにしている。ある心理学者は、「男性は自分の弱さを隠そうとするが、女性は病になった段階でそれを告白し、周囲に理解者を求める傾向がある」と指摘している。スポーツ選手でも男女差が出てくるのかもしれない。

スポーツには政治ばかりか、経済も関与してくる。活躍するスポーツ選手には当然、スポンサーが集まる。スポンサーの支援を受けてトレーニング環境が改善され、成果を挙げられる選手がいる一方、巨額の金を受け取り、次第にそれが負担となってスポンサーに押しつぶされる選手も出てくる。五輪大会となると国民の注目度も高まる。メダルを期待されている選手であればあるほど、ストレスは高まってくる。その意味で、トップ選手であるほど、そのメンタル・ケアが重要となるわけだ。

スケートボードの女子ストリートで日本の13歳の西矢椛が金メダルを獲得して日本の最年少記録を樹立して話題を呼んだ。五輪参加する選手年齢も毎回、若くなってきた。スポンサーの期待と国民の熱い応援を受けた選手たちが激しい戦いを展開するわけだ。精神的にまいってしまう選手が出てきても不思議ではない。五輪を含む様々な国際大会を開催する主催側はスポーツ選手のメンタルヘルスにこれまで以上に配慮する必要が出てきた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。