かつて日本で資格ブームがあったことがあります。(今でも根強いものがあるかもしれません。)新聞の広告には20以上の資格がずらりと並び、それらを取ることで高収入への道、と広告に謳われていたのを覚えています。
日本の社会は資格社会であり、履歴社会です。〇〇高校を卒業し、〇〇大学〇学部卒、もう少し望むなら大学院卒でできればアメリカのMBA取得者となれば見事な「履歴書美人」と私は称していました。ところが残念なことに、私も色々な人材を雇ってきたのですが、使える人材と使えない人材は履歴書とほぼリンクしないことを体得しています。大学なんて出ていないけれど探求心丸出しでとにかく学ぶことに貪欲だったある人はマネージャーになりました。東〇大学卒京〇大学院卒という金縁フレーム入りの履歴書の方は泣きが入るほど仕事が出来ませんでした。
一体ミスマッチとはどこにあるのでしょうか?英語の例を考えてみましょう。
日本の就職試験で英語についてはTOEICの点数を参考にするケースが多いと思います。700点なら外資系足切り、900点なら使える英語…といった様々な評価がついていますが、私は950点取った人で英語のコミュニケーションができない人がいたのをみて、英語のセンスはそこじゃないんだよな、とつぶやいたことがあります。
試験の英語は「受動英語」だから簡単なのです。聞かれたこと、問われたことを答えればよいのです。。だけど外国の世界では「能動英語」なんです。つまり、外国人と無から有を生まなくてはいけません。だけどそれは日本人同士のように「一を聞いて十を知る」なんていう芸当は逆立ちしてもありません。双方が違う常識観、違う人生、違う言語に違う食べ物で育ってきたのです。相手が何をするのか、何を考えているかはしゃべらないとわかるわけがないのです。だけど、日本人は「能動英語」がほぼできないのです。
これに気がついてそれを教えている英語学校があれば大したものです。私はどうやって訓練したか、というとエレベーターの中で一緒になった人にしゃべりかける練習です。わずか5秒か10秒で結論まで述べなくてはいけない、これ、めちゃ大変なんです。
あと、英語がうまくなる方法のもう一つは自分の話ネタに相手が引っかかるか、つまり、自分が振る話題が釣り餌で相手を魚に見立て、引っかかってくれば面白い話だということです。こんなこと、日本で誰も教えません。だけど、これが英語の能力を上げる手段なのです。決してTOEICの試験の結果ではないのです。
日本の官僚は東京大学をはじめ、旧帝国大学卒業者が多いとされます。しかし、試験の成績がどんなに良くても仕事が出来るわけじゃないことはこのブログをお読みの方はよくご存じでしょう。知能だけならコンピューターと勝負してもらえればよいのです。人には人にしかできない芸当、戦略を立て、チームを作り、敵との対策を考え、タイミングを見計らいながらプロジェクトを進めるのは人間だからこそできることも多いのです。しかし、エリートには冷たい人も多いかもしれません。自分を2段か3段ぐらい下げることができる官僚がいれば大したものです。私が社長兼雑用係なのは能力をまんべんなく使い、あらゆるレベルの人の話を引き出しながら決めるときは決めることが求められるからです。
資格は試験に受かれば誰でも取れます。しかし、能力は一朝一夕には作り上げられないし、ましてや人間性に至っては産まれたときから育まれるものです。私は試験は二の次、それよりもその人がその仕事をするのに本当にふさわしいのか、今はノウハウがないかもしれないけれどどのぐらいで習得できるか、などを見抜くようにしています。
真の人の採用とはそういうことです。履歴書や学校の成績だけならばAIロボット君にネット面接してもらったらよいでしょう。英語の試験はSiriと会話してもらうとか。
私は今後、テクノロジーの進化と共にマネージメントをする人間はより絞られていくと思っています。高い能力や情熱、向上心、粘り強さ、そして人生の目標設定をきちんと持つ人が生き残れる時代がやってくると思っています。今までとは雲泥の差の厳しい社会になると考えています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年8月1日の記事より転載させていただきました。