戦況悪化の中での撤退
バイデン政権は当初は同時多発テロの記念日にあたる9月11日までにアフガニスタンに駐留する米軍を一人残らず撤退させるとしていた。しかし、7月2日の記者会見でサキ報道官は予定より早く、8月末までに完全撤退が完了すると述べた。
米軍の撤退が進行と同時並行でタリバンが勢力を巻き返している。タリバンは現在アフガニスタンは地方の大部分を占拠し、それだけではなく、8月9日時点で合計で3つの州都を配下に収めている。首都カブールに迫り、アフガニスタン全土を制圧するのも時間の問題とされている。
皮肉にもアメリカは自らがアフガニスタンに駐留する原因となったタリバンの勢力がアフガニスタン戦争開始以後で最大になっているのにもかかわらず撤退しようとしている。アメリカはタリバン政権を転覆させるためにアフガニスタンに介入したという背景がある。タリバンが同時多発テロを引き起こしたテロ組織アルカイダを匿い、アメリカに引き渡すことを拒絶したことが「テロリストとそれを支援するものを区別しない」としたブッシュ政権の逆鱗に触れた。そして、実際に戦闘が開始してから瞬く間にタリバン政権は崩壊し、戦闘開始から2か月後に国連の支持を得た暫定政府が設立されるに至った。
だが、アメリカを主軸とした駐留軍が直面した困難は大規模戦闘が終結したかに見えた後に訪れた。2006年ごろからアフガニスタンでは新政府に対する不満から各地で暴動が頻発し、ゲリラ活動が活発化するようになった。専門家によれば、新政府が政府の根本的な役割である、国民の福祉の向上、警察力の整備ができていないことが一因だとする声もある。
そして、激化していく情勢に拘束される形でアメリカは事実上アフガニスタンという泥沼に引きずり込まれていく。また、ブッシュ氏に続く大統領たちは撤退を発表しながらも、決断を撤回に追い込まれることを繰り返す。オバマ氏、トランプ氏ともにアフガニスタンから米軍を段階的に撤退させるというタイムラインを発表しているが、イスラム国の台頭に伴い、アフガニスタンが再びテロの温床になるという懸念から、撤退の決断を先延ばしにしている。
しかし、上記の二人が直面していた懸念、そして現在進行形で勢力を拡張させるタリバンという現実を目の当たりにしながらも、予定通りに完全撤退を実現させるというバイデン大統領の意志は揺らぎそうにない。
撤退という決断の背景とは
ポリティコ紙の報道によると、バイデン政権は撤退問題に対して懸念を表する軍の主張を退けて、バイデン氏の長年の側近であるブリンケン国務長官、サリバン補佐官の協力の下、撤退という決断を具現化させた。これは軍の提示する政策を受け入れ続けたオバマ氏、トランプ氏とは相反する決断である。それと同時に彼の政治家としての経験が為せた業だという見方もできる。バイデンは上院議員、米副大統領としてアフガニスタンか置かれている状況の移り変わりを間近で見てきた。4月のスピーチで「軍事的プレゼンスを延長あるいは拡大」が事態の好転に寄与していないとはっきり明言したことは彼が培ってきた従来のアフガニスタンでの政策に対する疑念を反映している。
さらに、バイデン氏の決断を知るための重要なファクターは軍歴のある息子の存在である。2015年に惜しまれつつ亡くなった彼の息子であるボーバイデン氏が亡くなる以前と以後を比べると彼の軍事力の行使に関する姿勢は著しく変わっている。1991年に湾岸戦争への参加の是非をめぐる採決でバイデン氏は反対票を投じているが、理由として父ブッシュ氏がクウェートの解放のみに終始して、フセインの打倒を目指さないからだという強硬論を述べた。また、ボスニアでの民族浄化に手をこまねいていたクリントン政権を厳しく非難し、軍事力の行使を要請した。そして、物議をかもしたイラク戦争でも上院外交委員長として開戦の道筋をつけた。
だが、息子が軍人として中東に派遣されて以後、軍事力行使に対して彼は慎重になる。オバマ政権で実施されたアフガニスタンへの増派、リビアへの侵攻に対して最終的には少数意見となったが、反対意見を提示している。そして、印象的なのは軍人である息子の存在に言及しながら反対意見を述べていたことだ。それはアフガニスタンで残留するか否かを決める議論がなされていた最中である。アフガニスタン・パキスタン特別代表であるホールブロック氏に対してバイデン氏は「私は息子を生命の危機にさらしてまで女性の権利を守るために彼をあの場所(アフガニスタン)に戻すことはしない」、「それが上手く行くわけがない、彼らはそのために駐留しているのではない」と叫んだ。このやり取りは、彼の息子が軍人となったことが軍事力を無暗に行使することに歯止めを掛けていることを暗示している。
重要な決断の背景には些細なことが
アメリカのアフガニスタンからの撤退は中国の力を削ぐという副作用があると指摘されていることから米中対立の動向、さらには国際秩序の形勢にまで影響を及ぼしかねない重要な歴史的事件である。しかし、それに至った決断がとても個人的な事情が関係していると考えると、ある意味で拍子抜けすると同時に、超大国の指導者も所詮は一人の人間なのだと感じずにはいられない。