SNS炎上と白熱議論

SNSで炎上するケースが後を絶ちません。最近ではメンタリストDaiGo氏のホームレスに対する発言について生活困窮者支援団体4団体が意見書を公開するなどシリアスな炎上も見られます。SNS炎上について考えてみましょう。

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炎上するSNSは別に有名人に限らず、発信している人なら誰でも起こり得ることです。私のブログはかつてよく燃えさかっていましたし、コメントを入れた方が炎上するケースもありました。では私のブログは燃えなくなったのか、それとも炎上しそうな話題を避けているのか、というとそういうわけではなく、それなりにタッチーな話題は振っているのですが、言葉を選び、不必要な刺激を与えないように気遣いをしているつもりです。

SNS発信者の要領手引きでタッチーな話題には触るな、というのがあるのですが、それはホットな話題について自分の意見を述べ、YES、NOで答えるという選択をすることに日本人がいまだに慣れていないことはあるかと思います。私が大学生の時、社会学で日本人が自己意思を明白にしない点について学んだことがあり、こうやって海外に出ているとなるほどそうだな、と思うことがよくあります。最近の人は意思表明がはっきりしてきた、とされますが、意思の背景が薄弱、つまりどうしてそう考えたのか、と聞けば「テレビやマスコミでそう言っていた」「みんながそういうから」であって自分の頭で論理思考していない人は相変わらず多いという気はします。

では世界では誰でも白黒はっきりさせるのか、といえばアメリカとカナダはかなり違います。アメリカは本当に鮮明な白黒コントラストがあります。アメリカを一言でいうと完全な「白黒テレビ型」とみています。そして「お前はどっちにつくのか?」と白状させ、自分と違うほうだと延々と諭したり、「お前は俺のそばによるな」になったりします。かつてマナーブックで政治の話を食事の場でするな、と書いてあったのですが、当然、白黒劇場ですのでバトルが起きる可能性はあります。韓国もそれに近いでしょう。

一方、カナダは「カラーテレビ型」なのです。なぜかといえば同じ移民国家でもアメリカはアメリカ色に染めるメルトポット型ですが、カナダはそれぞれの出身の人権を尊重するモザイク型です。よって基本、話はあいまい。よって「カナダ人の二枚舌」と囁かれるのは本音がどこにあるかわからない時があるからです。

日本はどうか、というと明白な特徴として炎上者に賛同者が現れない点でしょう。「炎上者に賛同?、お前何言っているの?」といわれると思いますが、世の中、すべての炎上内容が無知、傲慢、差別的で同情の余地なしというわけではなく、世を二分する議論も大いにあるわけです。最近ではコロナ対策、SDG’s、中国問題、原発や五輪などネタはごろごろしています。しかし、有名人であまりそれに十分な知識を持たない人が不用意な発言をすると簡単に燃えてしまうし、それがあまりにもごく一部の事実を流用して大局を語るようだとつけ入るところが多すぎるということになります。そうなると賛同者は声を上げにくくなるし、上げても一行に満たない絵文字入りの雄たけび程度であったりします。

もう一つは日本は一般的に人権がらみの話題については極めて左巻きの声が強いということがあります。SDG’sや原発が人権がらみになりやすく、その場合、非常に熱い思いの方々が人権的正論を振りかざします。そのため、保守派はあまり入り込めなくなり、議論すべき内容でも炎上し、消火作業をしてくれる援軍が来ないということになります。

特に左巻きに火をつけた場合、左巻きは往々にして仲間や同胞との結びつきが強く、関係者、友人、取り巻きなどとシェアをして、一斉攻撃するのが常套手段です。こうなると一般的SNS投稿者は逃げようがなくなるのです。

さて、SNSは売名的要素もあり、タッチーなところをさらに鋭く切り込むことにスリルを感じるケースもあります。それがYouTubeの再生回数につながり自分の評価や収入になるわけで、芸人さんがユーチューバーに変更してビジネスをしていたりするわけです。その場合、よく見られるのが断言調で「絶対」「確実」「事実」といった単語を巧みに使うことでその気にさせて自分を強く押し出す場面もあります。2007年から365日ブログを書き続ける私からすれば結局それはより強い刺激を求める行為であっていつかは飽きられると思っています。

DaiGo氏の場合などは私からみればその典型的な例で無茶な比較論を持ち出しホームレスと猫という表現で失敗をしたわけです。

SNSは発信者と傍観者に分かれてきています。発信側は無名であれば問題ありませんが、将来有名になった時、無名時代の投稿も全部残っている問題が生じます。「20年前の記事」が話題になりましたが、SNSは第一歩から気をつける必要があるのです。フェイスブックも見るだけのひとが増えているのは結局、発信するリスクを理解しつつあるということでしょう。

こうなれば健全なSNSにはならなくなるわけで本質的な意味でのSNSの在り方については改善の余地があるということかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年8月16日の記事より転載させていただきました。