イスラエルとポーランドの間でナチス・ドイツ時代の賠償問題で再び対立が先鋭化してきた。直接の契機は、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領が14日、戦時中に押収された財産や資産の賠償などを含む行政手続き法の改正法案に署名したことだ。イスラエルのラピド外相は同日、「ホロコーストの犠牲者への賠償請求を不可能とするものだ」と指摘し、ポーランドの改正法を「非道徳であり、反ユダヤ主義だ」と批判、在ワルシャワの同国大使代理を帰国させた。それに対し、ポーランド外務省は16日、イスラエルの批判を根拠のないものとして一蹴し、駐イスラエルの同国大使に帰国命令を出すなど、両国間の外交関係はここにきて急速に険悪化してきた。
ポーランド大統領が署名した行政手続き改正法(amendment to the Code of Administrative Proceedings)は「時効30年が経過した要件について、如何なる法的決定も下さない」というもので、ナチス時代に押収された財産、資産などの返済請求権が30年後、時効となるというものだ。イスラエル側は「ホロコーストによって犠牲となったユダヤ人の賠償請求権を失効させる狙いがある」として、ワルシャワ政府の決定を厳しく批判しているわけだ。
ラピド外相は、「ホロコーストがイスラエル国民にとってどれだけの痛みを残しているかをポーランド側も考えるべきだ」と述べ、ポーランドの今回の決定に対し米国らと協議して対応を決めたいと強調、ポーランド側に政治的圧力をかける意向を示唆している。
ポーランド政府は、「わが国は過去、イスラエルの政治家たちにナチス政権の責任を押し付けられ、ホロコーストの悲劇に対しても、わが国の責任を追及されてきた」と指摘し、イスラエルは間違った歴史観を持っていると反論してきた。
ちなみに、ワルシャワ控訴院は16日、2人の著名なホロコースト研究家に対してワルシャワ地方裁判所が今年2月に下した判決を無効とした。2人の研究家は共同の著書の中でポーランドのナチス政権時代の戦争責任を指摘したが、「不正確な情報に基づく」として有罪判決を受けていた。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺の犠牲者を追悼するヤド・ヴァシェム(イスラエル国立記念館)関係者は、「ホロコーストを研究する者に対し、学術的、政治的圧力を行使することは受け入れられない」と厳しく批判している。
ポーランド上院は2018年1月31日、物議を醸した「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に関する法案」(通称「ホロコースト法案」)を賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で可決した。そしてアンジェイ・ドゥダ大統領の署名を受け、同改正法案は施行された。
「ホロコースト関連法案」はユダヤ人強制収容所を「ポーランド収容所」といった呼称をつけたり、ポーランドとその国民に対し、「ナチス・ドイツ政権の戦争犯罪の共犯」と呼んだ場合、罰金刑か最高3年間の禁固刑に処す、という内容だ。
ポーランド上院のスタニスワフ・カルチェフスキ議長は外国居住のポーランド国民宛てに書簡(3頁)を送り、その中で「反ポーランドの言動があったら、それを最寄りの大使館、領事館を通じてワルシャワに連絡してほしい」と訴えているほどだ。同議長は、「ポーランド国民はナチス・ドイツの戦争犯罪の犠牲国だ」という強い信念がある。だから、ユダヤ人強制収容所をポーランド強制収容所と呼ばれると、強い反発を覚えるわけだ。その傾向は中道右派「法と正義」(PiS)政権が発足以来、一層強まってきた。
ちなみに、ナチス・ドイツの戦争犯罪問題について、ポーランドの立場はオーストリアに酷似している。オーストリアは戦後、一貫して「わが国はナチス政権の犠牲国だ」という立場をキープしてきたが、ワルトハイム大統領戦争犯罪容疑問題後、フラ二ツキ政権(在任1986~96年)は、「わが国にも戦争犯罪の責任の一端がある」と修正した。そこに至るまで戦争後、半世紀余りの時間が必要だった(「ワルトハイムと民族の『苦悩』」2018年4月7日参考)。
なお、2021年8月14日はアウシュビッツ収容所でポーランド出身のフランシスコ修道院のマクシミリアン・コルベ神父が殉教して80年目だ。収容所所長が「脱走しようとした囚人の刑罰だ」として囚人から10人を選び、餓死刑にすると言い伝えた。その時、コルベ神父は、「死ななければならない囚人の代わりに、私が死にます。私には妻も子供もいません」と申し出た。コルベ神父は餓死刑に処され、最後は毒注射で殺された。コルベ神父は47歳だった。
同神父は1982年10月10日、故ヨハネ・パウロ2世によって聖人に列聖された。コルベ神父は「アウシュビッツの聖者」と呼ばれている(「地に落ちた一粒の麦『コルベ神父』の証」2020年8月16日参考)。コルベ神父はポーランド国民にとっても誇りだろう。
そのコルベ神父殉教80年目の今年、ポーランドとイスラエル両国で再び過去問題が浮上し、いがみ合っている。人は忘れても、歴史は忘れることなく、当事者(国)の和解と解決を強いてくるのだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。