アマゾンの創業者から1億ドルを贈呈されたスペイン人シェフホセ・アンドレスとは誰?
米国アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏は、自ら創設した航空宇宙企業ブルーオリジンでの時間にして11分余りの有人宇宙飛行を楽しんだ。
そのあとの記者会見で、スペイン人シェフのホセ・アンドレス氏と弁護士で環境と人道の保護活動家であるヴァン・ジョーンズ氏の二人にそれぞれ1億ドルを贈呈することを発表した。
これはベゾス氏が最近創設した「勇気とシビリティー賞」からの授与とのことだ。
この受賞を受けたホセ・アンドレス氏(52)について以下に触れることにしたい。
今回、ホセ・アンドレス氏がこの賞を授与される動機となったのは、彼が非営利団体ワールド・セントラル・キッチン(WCK)の創設者で、世界で災害などが発生すると現地に赴き料理をサービスしたり、貧困者の為に支援センターを設けてそこでも同じく料理をサービスするという活動をしているからである。
この慈善活動は、彼の母国スペインでも認められており、ベゾス氏から賞が授与される1週間前にもスペインで「アストゥリア皇太子賞」の共存共栄部門で賞を授与されたばかりであった。
またWCKについては、英国のヘンリー・サセックス公爵夫妻からも協力の手が差し伸べられて、昨年12月に同夫妻はWCKのメンバーに加わった。
ホセ・アンドレス氏がWCKを創設することに決めたのは2010年のハイチで起きた地震が動機となった。この地震で21万人が死亡したが、ホセ・アンドレス氏は現地に赴いて食事をサーブした。2015年にハイチに戻り、学校での料理にかまどではなくクリーナなガスを使用できるようにし、また孤児院でパンが作れるようにもした。
更にWCKの活動として2017年にカリフォルニアで起きた火事の消火に活動した消防隊員らに3万食を配給、またヒューストンをハリケーンが襲った時は10万人分の食事を用意した。プエルトリコを襲ったマリアハリケーンの時は1万8000人のボランティアを集めて300万人分の食事を用意した。
2019年には米国議会で国家予算が通過せず公務員の給与の支給ができないでいた時にも彼らに食事を用意した。ベネズエラとコロンビアの国境都市ククタやバハマを襲ったサイクローンマリアの時も同様に食事を配った。
コロナのパンデミックの時も米国の400の都市で3600万人分の食事を手配し、世界20の都市でも同様の活動を展開させた。(電子紙「エル・エコノミスタ」7月21日付から引用)。
今年7月にはスペインでもコロナパンデミックの前に100人のシェフと4500人のボランティアの協力を得て150万人分の食事をサービスした。インドでは17の都市を訪問して65-70の病院を訪問して食事をサービスした。彼が常に語っているのは「共感のもてる新しい世界秩序が必要だ。演説ではなく、行動でそれを示すことだ」と。(経済紙「エクスパンシオン」7月21日付から引用)。
ホセ・アンドレス氏がこのようなNGO活動ができるようになったのは、彼が米国に渡ってバル的な雰囲気でスペインのタパスを70-80種類を提供するレストランを開店させたことだ。時間をそれほどかけなくても食べれるレストランとして開店させたのが彼のその後の成長のもととなったのである。
そのレストランの名前はハレオ(Jaleo)と名付けた。それは1993年4月のことであった。当時はこれほど多くのメニューを軽食風に食べれるレストランは米国では存在しなかった。
スペインの中央北部アストゥリア地方出身のホセ・アンドレス氏は幼少の頃から料理好きで15歳になってバルセロナの料理学校で勉強を始めた。そのあとスペインで料理を芸術レベルに高めたレストラン「エル・ブジー(El Bullí)」で修行した。
その後、米国のニューヨークにあったレストランパラディス・バルセロナで働くようになった。彼を誘ったのはカタルーニャ料理を熟知しているというのが理由だった。単に一人のシェフとしてコネもなく米国に渡ったのであった。他2軒でも働いたが、いずれもその後閉店した。彼は新天地を求めてワシントンに行った。そこで1993年4月、ボブ・ワイルダー氏とシンク・フード・グループとでレストランハレオを開店したのである。このレストランの成長がその後のホセ・アンドレス氏の成長に結びついていったのである。現在シンク・フード・グループのCEOがホセ・アンドレス氏で、彼の世界での活動もこのグループがアレンジしている。
また、シンク・フード・グループは現在21種類の異なったタイプのレストランを維持しながら2000人の従業員を抱えるまでに成長している。
ホセ・アンドレス氏は、自身がシェフとして持っている主義を以下のように語っている。
もし君がシェフなら食事を料理する能力が君の手に委ねられている。最高の料理を高い価格でも口にすることができる人のために料理を提供することはできる。その同じ君の手で食べ物を口にすることができない人のために料理することもできる。それは21世紀の料理人にとって逃すことのできない与えられた責任だ。
更に、「どの国であれおいしい料理を一人一人の子供の為に提供することは商いとして度外視されるべきものだ」とも語っている。(「エル・パイス」2016年4月11日付から引用)。
今では彼の料理活動はハーバート大学やジョージワシントン大学の栄養と文化という面における研究対象にもなっている。
米国でこれだけ成功したのであるからそれを母国のスペインでも事業として成功させたいと思うのが一般であるが、彼はスペインではおいしい料理を愉しむのが望みで、スペインで事業を展開する意向は全くないと表明している。
その背後には米国で成功させたビジネスはスペインでは目新しいことではないということと、同じシェフ仲間と競争するのは避けたいという希望からであろう。
その一方で、彼が修行したエル・ブジーのアドゥリア兄弟と一緒に米国でメルカド・リトゥル・スペイン(Mercado Little Spain )を開設して、そこではスペイン料理などが愉しめるようになっている。