今春、スペイン国家情報本部はアフガニスタンの政情不安から治安が乱れる可能性を政府に示唆していた。けれども、スペイン政府はそれを無視していた。
スペイン国家情報本部はアフガニスタンの危険性を今春政府に伝えていた
まだトランプ政権だった米国とタリバンが昨年2月末に和平合意に調印した。この合意は米軍及び連合軍のアフガニスタンからの撤退への可能性を明らかにするものであった。また、この時点から近い将来タリバンによる政権の復帰が確かなものになった。
このような事態にある中、スペインの国家情報本部は今春、サンチェス首相にアフガニスタンにおいて政情が不安に陥り治安が乱れる可能性があることを伝えていたことが9月1日付「OKディアリオ」によって明らかにされた。
ところが、政府はそれを無視。実際に政府が現地のスペイン軍、開発協力事務所、スペイン大使館に協力していたアフガン人の救出に向かったのは8月19日からであった。
政府が国家情報本部からの助言を最初から受け入れてそれに対処していれば、現在アフガニスタンに残されたおよそ110人の協力者とその家族は全員救出されていた可能性は高い。
実際、マリオ・ドゥラギ首相のイタリア政府は現地のイタリア関係局に協力していたアフガン人とその家族を2か月以上前からイタリアに退避させていた。
スペインの緊急時もサンチェス首相はサマーバケーション中
サンチェス首相はスペインが救出に乗り出した8月19日にはまだサマーバケーション中で、救出活動を報道関係者に説明していたのはアルバレス外相であった。
サンチェス首相自らが記者会見に臨んで政府が取り組んでいる内容を説明することなどまったくなかった。メディアの前に全く姿をくらましていた。また、議会を招集して状況を説明することもなかった。勿論、休暇先から救出作業の指揮を執っていたことは確かであろう。しかし、一国の首相としてこのような国家の信頼が問われている緊急事態にある時に自らが首相官邸に戻って陣頭指揮を執るのが当然のはず。それをサンチェス首相はなぜか、怠っていた。
一方のドイツ、フランス、英国、イタリアなどは首相または大統領がバケーションを途中切り上げて陣頭指揮を執って報道関係者にも自らが状況を説明していたのとは対照的であった。メルケル首相は議会を招集し、野党とも緊密な連絡を取っていた。サンチェス首相とは正反対であった。
サンチェス首相がバケーション後、最初に姿を見せたのは軍事空港だった
ところが、サンチェス首相はスペインの軍機が最初に救出したアフガン人と家族がマドリードの北部郊外にある軍事空港に到着した時に、フォン・デア・ライエン欧州委員長とミシェル欧州理事会議長を伴って同軍事空港を視察訪問したのである。
それまでバケーションで自ら姿を見せたなかったサンチェス首相がその時バケーション後に初めて姿を見せたのであった。
また、8月27日にスペインの救出作業が終了した時にも同軍事空港に彼は姿を見せ、現地で活動したスペイン警察隊員と軍人を前にして挨拶の中で「任務は果たされた」と述べたのである。この表現に軍人の間では憤りを感じているという。というのは、かれらにとってまだ救出されずに現地に残り殺害されるのではないかという恐れの中で生活しているアフガン人がまだ多くいる。そのような状況の中で「任務は果たされた」と救出の最高指揮者であった首相が発言したその責務感の薄さに軍人は憤りを感じたのであった。
しかも、政府は彼らに今回の救出作戦で貢献したことに対しメダルの授与も検討しているという。軍人は我々がメダルを授与されるために貢献しているのではないと反発。国家レベルの緊急事態になると出動するのがいつも軍隊だということだ。メダルなどどうでもよい、軍人が望んでいるのは給与の改善だ、というのが彼らの要望なのである。
残されたアフガン人はカブールを離れつつある
その一方でアフガニスタンに残されたアフガン人と家族はその多くはもうカブールでは国外への脱出はできない、しかも宿泊していたホテルでの支払いの為のお金も尽きたとして郷里に戻っているという。彼らの多くが子持ちである。しかも、彼らの多くは住んでいたところからカブールに到着するのに3日間を要したという。郷里に戻るには途中タリバンからの脅威を逃れながら同じ行程を逆戻りせねばならない。しかも、タリバンに見つけられないように密かに生活を送ることが余儀なくさせられる。その上、家族を抱えての生活だ。事態は容易ではない。
サンチェス首相が述べたような「任務は果たされた」というのではなく、「任務は途中までしか果たされなかった」というのが正解であろう。