創造は偶然なのだから

創造の端緒は、社会が受け入れたとき、創造になる。スタンダールは、創造の端緒として、To the happy few、即ち、少数の理解者のためだけに、書いたのである。そして、死後、広く社会に受け入れられたとき、偉大なる創造者になったわけである。

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世界のあちらこちらで、常時、無数の小さな創造の端緒が開かれている。そして、そのうちの少数は、認知されて創造に昇華するわけだが、それは偶然の結果である。偶然だからこそ、多くの創造を生むためには、創造の端緒の数は更に多くなくてはならない。

江戸時代の日本橋を現代の装いで歩いたら、確実に、風紀紊乱の所業として、厳重に処罰されたであろう。当時の政治環境と偏狭なる価値観の支配のもとでは、逸脱が許容される余地は著しく小さかったと思われ、創造の端緒が開かれる可能性も極めて小さかったはずである。

実際、伊藤若冲は、生きているときには、あまりにも時代に先行していて、受容されなかった。しかし、夏目漱石が高く評価していたように、支持基盤たるthe happy fewを知識社会の一部にもち続けてきたので、長い時間経過の後、現代において、奇想の画家として評価され、偉大なる創造者となる機会を得たわけだ。

21世紀の日本橋を江戸時代の身なりで歩いたら、奇矯な振る舞いとみなされても、排除されるわけでもなく、創造につながる端緒の一つとして、許容される。江戸時代と現代とでは、日本橋周辺を支配している価値秩序が大きく異なるのだ。

現代は、支配的秩序がないといっていいほどに、多様化が進行しているから、どのような服装でも、どのような奇抜な絵でも、それを支持するthe happy fewが確実に存在すると考えていい。この多様性は、創造の端緒が生まれる可能性を著しく大きくし、創造が生まれる確率が同じでも、試行を増やすことで、創造を増やしているわけだ。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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