イスラエルが制作したTV番組「Shtisel」(2013~2021年、3シーズン、33話)は首都エルサレムのゲウラ(Geula)に住む通称ウルトラ・オーソドックス・ユダヤ人(ユダヤ教超正統派)と呼ばれるユダヤ教徒たちの日々を描き、イスラエル国内ばかりか、中東イスラム教圏、そして米国にまで人気を博し、Netflixは第1、第2シーズンを購入し、第3シーズンを制作したが、「米国版シテイセル」の制作にも意欲を示しているといわれる。なぜ超正統派ユダヤ人の家族ドラマ「シティセル」が宗派、国を超えて人気を呼ぶのか。「シティセル」について考えてみた。
「シティセル」は1、2のシーズンが終わった段階で完了する予定だったが、Netflixが番組の人気を考え、継続を決め、5年の空白後、第3シーズンを制作した経緯がある。「シティセル」の俳優たちが第3シーズンの撮影を終えた後、米国ユダヤ系テレビ番組にゲスト出演したが、司会者からは「なぜシティセルは人気があるのか」という質問に出くわした。彼らは異口同音に「分からない」と笑顔を見せて答えていた。なぜならば、製作者も俳優も「超正統派ユダヤ人の家庭物語がヒットするとは考えてもいなかったからだ。その中で女優は「もっともセクシーではない映画だからだ」と笑いながら述べていたほどだ。
英BBCは2019年4月に「シティセル」を発見し、「Why Shtisel has captured the global Imagination」(「シティセル」がグローバルな想像力を捉えた理由)という記事を掲載し、イスラエルの英字日刊紙「エルサレム・ポスト」は今年9月4日、「What ‘Shtisel’ teaches us」(「シティセル」は何を我々に教えているか」という解説記事を書くなど、欧米のメディアは「シティセル」に関心を示しているのだ。
第3シーズンは英語の字幕をつけ、英語圏の視聴者にも俳優名などが分かるように配慮されている。ファンから「俳優の名前が読めない」という声が多数寄せられたからだ。イスラエルでは第4シーズンが計画されているという。
「シティセル」家の父親役(Shulem Shtisel)を演じた、イスラエルで有名な俳優ドフ・グリックマン氏は、「家族でパリに行きレストランで食事をしていた時、3人の女性が近づいてきて『イスラエルからきたのか』『俳優ではないか』『ひょっとしたらシティセルに出演していた?』と話しかけてきた。その通りだと答えると、『シティセルを観たが、自分たちにも共通していることがあって、とても良かった』と言う。3人はレバノンからパリに旅行に来たイスラム教徒だ。“シティセル”がイスラム圏でも観られてきたことを知って感動した」と証している。
イスラム教徒がNetflixを通じて「シティセル」を観ているというのだ。その人気の理由は「シティセル」家で展開する人間ドラマは宗派の違いを超えて共感を呼ぶからだ。例えば、「シティセル」では息子たちが婚約する時の場面、相手の家とのやり取り、息子や娘たちが親と葛藤するシーンは超正統派ユダヤ教徒の家族だけはなく、イスラム教の世界でもよく見られることだ。イスラム教徒も「シティセル」を観て、「ユダヤ人の家庭でも同じ問題で悩んでいるのだ」という一種の共感を呼び起こすわけだ。
ギティ(娘)役を演じた女優ネタ・リスキンさんは撮影後、エルサレム市内を男友達と腕を組んで歩いている時、超正統派ユダヤ教徒が近づき、「ギティ、ショックだよそんなことするとは!」と言われてしまったという。路上で男性と手を繋いで歩くことなどは超正統派ユダヤ人女性はしない。だから、ギティ役の女優の普段の姿を見た超正統派ユダヤ人はギティの姿の変わりように“ショック”を感じたというわけだ。超正統派ユダヤ人も家ではテレビで「シティセル」を観ていたことになるし、しかも多くの超正統派ユダヤ人は「シティセル」に好感をもっているという(超正統派ユダヤ人では普通、家にはテレビがないが、最近ではテレビを見ている家も増えたという)。「超正統派ユダヤ人の物語が初めて商業シリーズとなり、多くの人々から前向きに受け取られた」と評価されているほどだ。
「シティセル」に登場する俳優は全員、世俗ユダヤ人だ。彼らは「番組のために超正統派ユダヤ教徒の日常生活、宗教的な言動について学んだ」という。「シテイセル」の成功は俳優たちの素晴らしい演技にあることは間違いない。一人一人が見事にその役割を果たしているからだ。衣装は男性は黒い帽子に黒いスーツ、長い髭の姿で登場する。グリックマン氏は「朝5時に撮影に入るが、髯を付けたりして準備しなければならない。1日12時間、撮影することが多いので大変だったが、自分にとって『シティセル』の父親役は俳優生活でも最もやりがいのある仕事だった」と述懐している。
もちろん、映画が成功した背景には、「シティセル」の脚本を書いたオリ・エロン氏とヨナタン・インダースキー氏の功績が大きい。2人は元々超正統派の家庭で育った後、世俗社会に移住した人間で、超正統派の生活、風習等に熟知しているのだ。
「シティセル」はユダヤ教という宗教を信じる人々の物語だが、そこで展開される内容は宗派を超えた人間ドラマだ。親の紹介でマッチングされる若いユダヤ人の葛藤はイスラム教徒の家庭でも見られる。超正統派では通常18歳から21歳までに結婚する。世代間の違いも浮かび上がる。また、家庭での女性の役割も描かれている。家の名誉を守るために必死にがんばるギティの姿は多くのイスラム教の女性たちの姿とも重なる。
マーラーの音楽に惹かれ、将来音楽家になりたかった父親の弟、教会合唱で歌がうまく将来歌手になることが夢だった長男。末息子アキバ(Akiva)は画家になりたい夢を持っていた。しかし、父親の弟は得意ではないビジネスで失敗し、長男はユダヤ教の指導者になる為に日々、律法を学ぶ。末息子のアキバだけは最後に自分の夢を果たし、画家の道を歩みだす。
超正統派ユダヤ教徒のコミュニティでは律法を学ぶ以上の最高の仕事はないと考えられてきた。だから通常の男性は律法を教える宗教学校(イェシバ)にいく道をベストと考える。アキバのように芸術の道を模索するユダヤ教徒は超正統派の家族や社会から理解されないから、苦悩する。父親はアキバが芸術の世界に没頭するあまり、ユダヤ教の教えを忘れてしまうのではないか、という不安を持っている。
ウルトラオーソドックスといえば、何か特殊な宗教集団と受け取られることが多いが、「シテイセル」を見れば、彼らも世俗ユダヤ教徒、イスラム教徒と同じ問題に悩み、戦っていることが分かる。超正統派ユダヤ教徒への偏見が消えていくのを感じる人が多いという。超正統派ユダヤ教徒のコミュニティは決して異次元の世界ではない。ユダヤ教という宗教の書割を排除すれば、そのドラマは宗派、民族の壁をこえた普遍的な人間ドラマが描かれているからだ。
犯罪ものや喜劇やインフェルノ的な世界を描いた映画やテレビ番組が多い一方、通常の家庭の日常生活を描きながら、人間ドラマを描いたテレビ番組、映画は少なくなった。その点、「シティセル」は書割こそ超正統派ユダヤ教の世界だが、人間の普遍的なテーマを描いている。
「シティセル」で興味深い点は、亡くなった母親や妻が頻繁に登場し、家族と会話を交わす場面が多いことだ。死者も重要な役割を果たしている。幽霊とか幻想といった立場ではなく、生き生きとした人間として死者が家族と対話するシーンは興味深い。その点、カナダの映画に少し似ている。
アキバが妻の肖像画を描いている時、椅子に座っている妻と会話するが、妻はその時、既に死んでいたのだ、アキバは死んだ妻と会話していたのだ。描いた妻の肖像画を画廊に出すが、その絵を売ることを強く拒否する場面がある。愛する妻を思うその世界はユダヤ教を信じるユダヤ人の特別の想いというより、ユダヤ教を全く知らない人にとっても理解されるテーマだ。
グリックマン氏は米国のユダヤ系テレビ番組の中で「『シティセル』は宗派間の戦いや民族間の紛争が多い世界に平和のインスピレーションを与えるかもしれない」と述べている。
日本人が「シティセル」を観れば、どのように感じるだろうか。Netflixで観ることが出来るので、ぜひとも観てほしい。そして感想を知りたいものだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年9月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。