河野太郎氏が選択的夫婦別姓と同性婚の制度化について「賛成」とし、「こういう価値観が問われる問題については、国会で党議拘束をやめて、広く議論いただくのがよいのではないか」と述べたという。
私は、選択的夫婦別姓と同性婚についての是非よりも、安直に党議拘束を外すことのほうが憲政上の大問題なのだと思う。
野党がほぼ一致してひとつの方向に向かい与党が割れているような問題について安直に党議拘束を外したら、与党が与党である意味がなくなってしまう。保守政党のなかの左派が党内での右派との論議を面倒くさがって、野党と組んで党議拘束なしにしようというのでは、もはや政党として体をなさない。
これは左派政党が党内左派を切るために保守と組む場合も同様である。
アメリカでは党議拘束してないではないか、日本でも戦前ではという方もおられるが、それはいずれも議院内閣制をとっていないからだ。
議院内閣制のもとでは、首班指名にあたって、任期中は与党として責任をもってワンセットになった政策を提案し、与党内で決めたことは一致団結して実現するのである。
それを国民にうけそうなことだけ賛成だとか、与党内でさまざまな妥協をし、取引して少数派の意見も採り入れて決めたことを、その話し合い無視して党議拘束なしで行動してはバランスの取れた政策は打てない。
たとえば、自民党と公明党とで話合って何か決めても、党議拘束なしなら公明党の意見を容れて決めたことは無視されてしまうだろう。
それでは、どういう場合に党議拘束はずすのかというと、与野党いずれもで意見がばらばらで、与党と野党に分かれて投票する意味がないような場合だ。たとえば、元号なんか二つの案を政府が出して、自由な投票で決めても不都合あるまい。
あるいは、国会のルールを決めるような場合には、与野党合意のほうがいいから、党議拘束なくてもいいだろう。院内でタバコはいっさい吸えなくするとか、トイレの和式を残すか様式だけにするかとか勝手にすればいい。
しかし、選択式夫婦別姓のような問題は、まさに政治的な保革対立のテーマで、政治的価値観が問われているような問題は、党議拘束はずすのは筋が通らない。
これ許してしまったら、皇位継承問題でも同じような手法を使いかねない。さっそく、皇位継承問題が重大な局面を迎えるだろう。
ちなみに、現在の氏名や結婚の制度は曲がり角を迎えていて、諸外国の制度との整合性も含めて考慮しなくてはならないと思う。一番の問題は、まず、氏名は漢字の表記を持って正式とするのから読み方を主に転換すべきだ。
氏名は西洋式の複合姓などの問題もあり、なにも現在の野党案のように、中国人や韓国人が自分たちのやり方を認めろというだけの提案はおかしいと思う。それなら、中国や韓国で日本式のやり方を認めるのと同時にしたらよい。