夫婦別姓が日本の伝統である(アーカイブ記事)

これは2021年3月22日のアーカイブ記事です。自民党総裁選挙で夫婦別姓が争点になっているので再掲します。

 

政府の「男女共同参画基本計画」が選択的夫婦別姓を認める方向になったことで、また論争が蒸し返されている。自民党内にも賛成の議員連盟ができ、流れは変わり始めているが、わからないのは夫婦別姓(正確には別氏)に反対する人々の論理だ。

たとえば高市早苗氏などの国会議員50人でつくる議員連盟「『絆』を紡ぐ会」は、全国の自民党の道府県議会議長あてに出した文書でこう書く。

現行の夫婦同氏制度は、日本人が大切にしてきた家族の絆や一体感を維持する上で重要な役割を果たしており、同時に、子育てや夫婦親族相互扶助の環境づくりの土台になってきた。

選択的夫婦別姓導入の動きは、氏が個人に属すると考える人が、この時代の中で出てきたことに影響しているが(原文ママ)、そのことを以って、子育てや相互扶助に悪影響を及ぼしてよいはずがない。人間の中心は情緒であり、家族の絆は、その情緒のなかで紡がれてきた。何より子供たちへの心の影響(原文ママ)を考えれば、慎重になるべきだ。

一段落に二つも文法の誤りがある悪文だが、要するに夫婦同姓(同氏)が「家族の絆」だから守れという「情緒論」で、論理はない。夫婦別姓を認めない民法は世界中で日本だけだが、日本以外の国には家族の絆はないのだろうか。

彼らは「夫婦同姓が日本の伝統だ」と信じて、それを守ろうとしているが、これは旧民法で初めてできた制度である。保守派の加地伸行氏も明言するように、日野富子や北条政子のような夫婦別姓が日本の伝統なのだ。

東北アジアでは、夫婦別姓を堅く守ってきた。ところが日本では、明治維新後、幕末に外国と結んだ条約の不平等改正を進める際、相手は近代的諸法律の整備を要求した。そこで刑法をはじめ諸法律を整備してゆくが、民法親族編の婚姻後の姓氏について悩んだ。大議論の末、姓でなくて氏を名乗ることにしたのである。それは欧米社会のファミリーネームの真似、すなわち夫婦同氏であった。

古代日本の戸籍は中国と同じく(北条政子が源頼朝と結婚しても北条を名乗ったように)夫婦別姓だったが、それとは別に居住地の地名などを苗字として名乗るようになった。これが「氏」で、通称だからどうつけてもよく、新しくつくってもよかった(百姓は苗字を名乗れなかった)。

ところが明治時代にそれをヨーロッパの制度に合わせたとき、民法で夫婦同氏と決めたので、結婚前の苗字を使うと戸籍上の氏と一致せず、いろいろ不便なことが起こる。選択的夫婦別氏は、それを選べるようにするだけの話で、世界中そうなっている。それは当たり前で、日本と台湾以外には戸籍という制度がなく、住民票の苗字(ファミリーネーム)しかないからだ。

それに賛成するのが「リベラル」だという思い込みで反対するネトウヨがいるが、これは政治的信条とは無関係である。そもそも高市氏が夫婦別姓なのに、それを法的に公認する制度になぜ反対するのか、さっぱりわからない。「通称を使えるように制度改正すればいい」というが、民法で認めたら個別の法改正は必要ない。

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