河野太郎候補は「日本語」が「日本の礎」というが

藤原正彦のベストセラーに『祖国とは国語 』がある。彼はその中で「国語はすべての知的活動の基礎である」、「国語は思考そのものと深く関わっている」、「現実的世界での論理的思考も国語で育つ」などと述べ、国語の大切さを力説する。言うまでもなく日本の国語は「日本語」だ。

所見発表演説を行う河野太郎氏 河野太郎氏@自民党総裁選Twitterより

自民党総裁選に立候補した河野太郎は、表明会見で「自民党は保守政党だ」、「保守主義は度量の広い、中庸な温かいものだと思っている。日本の礎は長い伝統と歴史と文化に裏付けられた皇室と日本語」だとし、「人が人に寄り添う温もりのある社会を作っていきたい」と述べた。

この「皇室」という語は、河野の政策集ともいうべき近著『日本を前に進める』には「天皇制」とあるそうだ(筆者は未読)。これも巷間いわれている限りのことだが、「天皇制」は共産党用語なので「皇室」と言い換えたらしい。それは措くとして、筆者は「日本語」の方を取り上げたい。

河野は「日本語」を「長い伝統と歴史と文化に裏付けられた」「日本の礎」というのだが、筆者には彼が国語辞典を引いたことがないのではないかとの疑いが湧く。なぜかといえば、彼がそれ以来連発している「寄り添う」の使い方が日本語としておかしいからだ。

筆者座右の『新明解国語辞典』で「寄り添う」を引けば、「相手のからだに触れんばかりに近くに寄る」とあり、他の意味はない。『大辞林』にも「もたれかかるように、そばへ寄る」とあるだけだ。

藤原正彦は「惻隠の情」という語のことも様々な著書で書いている。『新明解』は「惻隠」を「『困っているのを見聞きして、かわいそうだと同情する』意の漢語的表現」と解説している。察するに、河野の「寄り添う」とは、「惻隠の情をもって接する」ほどの意味ではなかろうか。

今回、河野を推す小泉環境相も、大臣就任に際し「そうした人たちに寄り添っていくことが大切」と福島の漁業関係者を念頭に置いて発言した。が、彼は特に「日本語」を「日本の礎」などと述べている訳でなし、河野と同じく英語が得意らしいから、とやかくはいうつもりはない。

18日の日経新聞が「自民総裁選、4氏は何を訴えたか 演説のことば分析」なる興味深い記事を載せていた。読むと河野の「寄り添う」頻発ぶりが判る。岸田も何回か使っているが、如何にも使いそうな野田のゼロは意外だった。もちろん高市はそんな軟(やわ)な語は使わない。

野田が、その代わりに「生き易い」を使っているのが気になった。「暮し易い」ならよく使われるが、誤用ではないにしろ「生き易い」という表現は、筆者には少々引っ掛かる。それは「死に様」からの連想で使われ出した「生き様」に感じるのと似た違和感だ。

人があることを表現するのに、どういう語を選び、どういう話し方をするかには、誰に影響されたかが強く出る。一般には、子供の頃に両親の話ぶりを聞いて、それに感化される場合が多かろう。進次郎の物言いが父純一郎とそっくりなのはその証左か。

石破茂の「それって、〇〇だよね」といった口調を聞くと、筆者は虫唾が走るが、他日、知人は「石破さんは優しい話し方で判り易い」といっていた。人それぞれだなあ、と感じ入ったが、ここ最近の河野の「〇〇だよね」も耳に付く。石破に支援を頼み込むのも宜なるかな。

話し方は「優しい」かも知れぬが、それは話し方だけのこと。筆者には石破や岸田の話は、回りくどい話ぶりだけが気になってしまい、結局、何を言いたいのか判らずに終わることが少なくない。それとは逆に、進次郎話法も一句一句が短すぎ、これまた良く理解できない。

政治家の言葉づかいでは「させていただく」も気になる。筆者は鳩山由紀夫の「させていただく」の印象が最も強いが、4候補とも頻繁に使う。この語の使い方について、文化庁は次のように解説している。

―「させていただく」といった敬語の形式は、基本的には、自分側が行うことを、ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い、イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われます。

したがって、ア)、イ)の条件をどの程度満たすかによって、…適切な場合と、余り適切だとは言えない場合とがあります。-

つまり、ア)とイ)の条件を満たした場合に使うが、ケースバイケースとのこと。そこで、政治家は選挙でえらばれた選良(選ばれたすぐれた人)だ。「立候補させていただきます」は「立候補いたします」で良く、「させていただく」はむしろ慇懃無礼に聞こえると常々筆者は思っている。

本格的に総裁選が始まって、18日には日本記者クラブで4氏揃っての討論会があり、19日日曜も朝から4氏の討論番組が目白押しだった。が、筆者はこれらの場での発言よりも、立候補を表明する以前のこれまでの政治活動の中で、4候補がどう発言し、どう行動してきたかを重視する。

加えてこれから投票日までに、そうした持論や政治行動がどう変節していくかにも注目する。勿論、世の中は日進月歩、例えば従来株とはかなり異なるデルタ株への対応を臨機応変に行えない様では困る。が、「日本の礎」である皇統維持やエネルギー政策はそうではない。

いくら繕っても付け焼刃は脆く、安メッキは直ぐ剥げる。それで騙せるほど国民は馬鹿でない。言葉で勝負する政治家がいい加減な日本語を使うようでは、それこそ「選良」が泣く。