「ニュースの価値とはなにか」
「ニュースの未来 」の筆者である石戸諭の真摯な問いは重い。
ニュースの世界は、これまで以上に誰かが楽をしようと思ったら、ゲーム自体が終了という時代に突入しています。
ニュースをめぐる環境は悪くなっていくばかりのようだ。けれども、それはマスメディアといった産業の問題と、個人が良いニュースにふれるという課題というふたつの事象が混同されている面があると言う。
たしかに、テレビや新聞、雑誌の権威が揺らいでいる。そして、ネット上にはあやふやな情報が溢れている。けれども、ニュースには、メディアが変わっても決して変わらない重要な要素が含まれているのだ。われわれは媒体を問わず、ニュースによってビジネスや将来の多くを判断している。
■フェイクニュースの登場のように、社会問題はより複雑になっていように見える。しかし、そんな中でどのようにすれば良いニュースが作れるか、著者は真摯に考えている。旧来のメディアとインターネットメディアで活躍した後に独立した著者の指摘は説得力がある。
良いニュースを増やすこと、良いニュースの市場を開拓すること、良いニュースが届けられるメディアの仕組みを作ること、良いニュースの利益が上がるようなシステムを開発することは、それぞれにプロが必要とされるでしょう。
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そして、今いちばんプロが必要とされているのは、インターネットメディアだろう。
Yahoo!ですら人材育成に失敗をしている可能性が高いという。一から新人を育てられていないので、訓練を積んでいない編集者がかなりいい加減な基準でニュースが取捨選択されている場合もあるようだ。
ネットやSNSが普及した現代は、かつてなく言葉への過剰な信頼が強まっている。そして、論争は相手への罵倒へと変わっていくという危険性がある。
「正しい知識」は陰謀論の防波堤にはならない。政治についてある程度知識がある人間のほうが極端に振れやすいという事実の指摘は重い。
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そういった風潮の中で、「良いニュース」を発信しつづけることはできるのか。現在のPV至上主義のニュース発信ではそれは覚束ない。PVを生み出すことは訓練を受けなくてもある程度法則化できるが、「良いニュース」を届けることは訓練を受けた人間にしかできない。
こうした状況であっても、否、こうした状況であるからこそ、少しでも新しいものを生み出したいという発信者がニュースの歴史に連なり、挑戦を欠かさない実践によって未来を切り開き、次の時代のニュースを「創造」していくバトンを受け取るのです。
石戸のいう「良いニュース」は、事実に基づいていることはもちろん、その中に社会的な意味合いや争点を含んでいて読者に新しい視点を提示するものであり、読みつがれるものだ。
それを成立させるためには、「謎」「驚き」「批評」「個性」「思考」といった要素が必要になってくる。これらを適宜織り交ぜることが、ネット時代の「良いニュース」の基礎となる。
われわれにとって、ニュースの未来は魅力的で可能性に満ちているだろうか。
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