『失敗の本質』精読検証の第3回です。今回は「グランド・デザインの欠如」について考察します。同書では「六つの敗け戦に表出した日本軍の失敗の要因を戦略と組織という二つの次元から検討を加えた」(P238)とし、戦略に関しては五つの要因を掲げました。
(前回:「失敗の本質」を精読②)
そのうち「あいまいな戦略目的」「狭くて進化のない戦略オプション」という要因については下記引用文のように「グランド・デザインの欠如」をその原因と特定しました。
作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、個々の作戦を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランド・デザインが欠如していたことにあるのはいうまでもないであろう。(「2章失敗の本質」P193、「戦略上の失敗要因分析 あいまいな戦略目的」の項より引用)
明確なグランド・デザインがない場合には、戦略オプションも限定された範囲のなかでしか生まれてこない。(同P239、「失敗の本質 要約」の項より引用)
今回は、同書が「作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因」とする「グランド・デザインの欠如」に焦点をあてて検証いたします。
なお、同書が使う言葉には揺れがあり、ほぼ同趣旨の文脈で「グランド・ストラテジー」や「戦略デザイン」という言葉も登場します。本稿ではそれらもほぼ同趣旨のものとして扱います。
グランド・デザインの定義
まず、本文中「グランド・デザイン」や「グランド・ストラテジー」に関する明瞭な定義はなされていませんが、下記のような記述から、これを同書における定義的なものと致します。
これが米軍の対日戦争におけるグランド・ストラテジー(大戦略)であった。(改行)本来、グランド・ストラテジーとは、「一国(または一連の国家群)のあらゆる資源を、ある戦争のための政治目的―基本的政策の規定するゴール―の達成に向かって調整し、かつ指向すること」である(リデルハート『戦略論』)。(同書P194より、太字は引用者)
要するに「戦略的グランド・デザイン」≒「グランド・ストラテジー」=「大戦略」であり、「グランド・デザイン」=「長期的な政戦を包含する国家的構想」という意味のようです。
検証:「グランド・デザインの欠如」の真偽
同書は、その根底に「日本にはグランド・デザインが欠如している」という趣旨の「ものの見方」があり、上述の他にも多数登場します。例えば下記のように使われます。
(ガダルカナル戦の敗因として)戦略的グランド・デザインの欠如(「1章ガダルカナル作戦アナリシス」項目名、P88)
このような戦略デザインと現状認識しかなかったために(同上P89)
日本は日米開戦後の確たる長期的展望のないままに、戦争に突入したのである。(「2章失敗の本質」P195)
例外的な戦略的グランド・デザインの一つといわれる真珠湾攻撃は(同上P201)
「日本にはグランド・デザインが欠如していた」を命題(=真偽が判定できる文章)とし、その真偽について検証しました。
検証結論
「日本にはグランド・デザインが欠如していた」は偽である。開戦前後の日本には、概要次のような趣旨の戦争終末観、つまり長期的な構想(≒グランド・デザイン)が実際に存在した。
<日本の戦争終末観>
「日本が米国を屈伏させることは不可能であり、中国を早期に屈伏させることも困難であるため、大東亜戦争は長期戦となるだろう。しかしドイツが英国を、上陸戦による屈伏は難しいが少なくとも海上封鎖により講和を結ぶことは可能であろう。そうなれば、米国は戦争継続意欲を失うに違いない(失って欲しい)。その機を失せず米国と講和を結ぶことで、旧英仏蘭植民地を資源地帯または経済圏として大東亜共栄圏(≒円ブロック)を形成する。」
検証結論の主な根拠
上述の戦争終末観要旨の根拠は膨大なので全てをここに掲示することはできませんが、主要なものを以下の通り示します。
同書が「われわれのいわば底本となっている」(P9)と記述している『戦史叢書』には、大東亜戦争全般の構想についてはいくつかの記録があり、例えば下記のように記述しております。
- “十月初めころまでに陸海軍省部事務当局間で概定した「対米英蘭戦争指導要綱」の内容について、(中略、改行)九 戦争終末促進の方略 蔣政権の屈伏を促進し、獨伊と提携して英国を屈伏せしめ、米国の継戦意志を喪失せしむることを要旨とした。(『戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯(5)』P340~343より、太字は引用者、時期は1941年)”
- “対米英蘭蔣戦争終末促進ニ関スル腹案(改行)二 日獨伊三国協力シテ先ヅ英ノ屈伏ヲ図ル。(前掲書P345より、太字は引用者)”
- “三月七日連絡会議で決定された「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」は、次のとおりであった。(改行)一 英ヲ屈伏シ米ノ戦意ヲ喪失セシムル為 引続キ既得ノ戦果ヲ拡充シテ長期不敗ノ政戦態勢ヲ整ヘツツ 機ヲ見テ積極的ノ方策ヲ構ス(『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<2>』P290より、太字は引用者、時期は1942年)”
また、『大東亜戦争全史』では、次のような当時の認識を伝えております。
大本営政府共に、欧洲における独逸の不敗を確信していたことは事実であつた。即ち独逸は、必ず勝つとは限らぬが、敗れることは絶対にないであろうというのであつた。開戦の決意も、戦争計画も、この考慮の下においてなされたというも過言ではなかった。(復刻版『大東亜戦争全史(一)(服部卓四郎著)』P79・80、太字は引用者)
なお、著者服部卓四郎陸軍大佐は開戦前から(途中東条陸相秘書官を挟み)終戦直前まで作戦立案の主務者だったので、この記述が戦争指導者たちのリアルな「思考の前提条件」だった可能性は少なくないでしょう。
考察
開戦前の日本には「対米英蘭戦争指導要綱」や「対米英蘭蔣戦争終末促進ニ関スル腹案」などの大戦略が存在しました。この日本の戦争方針や終末観には、可能性を一旦考慮の外におくならば(社会科学的な)論理のつながりも認められます。ただし可能性まで考慮した「期待値」の観点で考察するならば、自然科学的な合理性は低いでしょう。
そして、この戦争終末観には重大な欠陥がありました。つまり、
「日本の戦争終末観は『ドイツは不敗』という、誤った見通しに立脚していた」のです。
ではなぜ、『ドイツ不敗』という謬見を持ったのでしょうか。
それは、「親ドイツ」陸軍、希望的観測と事実との混同、大島浩という「欧州情報の偏向フィルター」、内集団バイアスなどを背景に、国際環境に関する日本の「認知の歪み」が著しかったことが大きな要因の一つであると言えるでしょう。(詳述と根拠は後日別稿)
整理すると、日本の大戦略には以下のような3つの欠点がありました。
- 入力データ:環境認識に致命的な錯誤
- 演算関数:論理的な矛盾を包含する折衷思考(意思決定の様式)
- 出力結果:目的達成可能性の少ない、第三者頼みの戦略
結局、日本が手にした解は、形式上論理的だが実態は空集合に過ぎない虚解でした。言い換えるならば、組織内部の事情にあわせ、適合する外部情報だけを採用した作文に過ぎませんでした。(「ドイツ不敗」以外にも、例えば開戦後の石油需給や船腹損失の見通しなども事実と乖離していた可能性が高いです。)
心の裡は他者にはわからないので以下は想像に過ぎませんが、
「作戦立案者たちは、内心では不可能であることを承知しながら、形式的には筋が通るストーリーを“鉛筆をなめつつ”後付けで描いた」
というのが実相に近いのではないでしょうか。おそらく大組織の経営企画担当者の多くが経験するであろう、あの状況です。
むすび
今回は「日本のグランド・デザインの有無」に焦点を当てました。あることにはあったのですが、実態としてそれは空文でした。この「非形式的誤謬に近いグランド・デザイン」が罷り通ることこそが日本らしい事象であり、失敗の本質を解析するための手がかりとなるでしょう。(将来考察編で、本件の仮説を展開する予定です。)
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<主な参考文献>
『失敗の本質』(ダイヤモンド社単行本およびKindle版)
『大東亜戦争全史(一)(二)』(服部卓四郎著、復刻版)
『真珠湾までの経緯-海軍軍務局大佐が語る開戦の真相』(石川信吾著、中公文庫)
『戦争という選択』(関口高史著、作品社)
『日独伊三国同盟』(大木毅著、角川新書)
『戦史叢書大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯』各巻(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社)
『戦史叢書大本營海軍部・聯合艦隊<2>』各巻(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社)
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