「オーダーメイドの薬」目指す生化学者

世界でも最も利用されているコロナウイルス・ワクチンといえば、米ファイザー社と独バイオ医薬品企業ビオンテック社が製造したワクチンだ。

mRNA開発者カタリン・カリコ―博士(wikipediaから)

同ワクチンはビオンテック社が開発製造したもので、「mRNAワクチン」(メッセンジャーRNA)と呼ばれ、遺伝子治療の最新技術を駆使し、筋肉注射を通じて細胞内で免疫のあるタンパク質を効率的に作り出す。ウイルスを利用せずにワクチンを作ることができることから、短期間で大量生産が出来るメリットがある。ビオンテック社のワクチンは最新医薬技術を切り拓いたといわれている。

同社は今日、コロナ・ワクチンの製造で世界的な製薬会社の仲間入りをしてきた。このmRNA技術を開発したハンガリー出身のカタリン・カリコ-博士(66)がこのほど権威のある医学賞「パウル・エールリヒ賞」をビオンテック社創設者ウグル・シャヒン博士とエズレム・テュレジ博士夫妻の2人の博士と共に受賞した。パウル・エールリヒは1854年生まれのドイツの細胞学者、生化学者で、ノーベル生理学・医学賞受賞者だ。

同受賞を報じたドイツ放送によると、カリコー博士は生物医学者で他の学者が取り組まず、他の学者を説得できない分野に長い間取り組んできた。政府からの助成金もなく、厳しい環境下で開発研究してきた学者だという。以下、同放送のミヒャエル・ランゲ記者の記事(9月21日)の概要を紹介する。

受賞の知らせを受けた同博士(ビオンテック社上席副社長)は、「ビオンテック社の両博士と共に自分も同じ賞を受けるとは考えてもいなかった。大きな衝撃を受けた」と率直に喜びを表している。

カリコー博士は、「mRNAワクチンの母」と呼ばれている。同博士が開発したmRNAがなければ、ビオンテック社やモデルナ社のワクチンは存在しなかったといわれる。

同博士はハンガリーの研究時代から遺伝子分子DNAの妹と呼ばれている生体分子の研究に取り組んできた。同博士は当時から「mRNAは理想的な薬だ」と考えてきたという。

カリコー博士は、「冷蔵庫にmRNAを保管している人が足に水ぶくれがが生じた時、それを取り出して皮膚に塗って治療できるといった思いがあった」というのだ。何か新しい科学技術なりを開発する学者には常にビジョンが頭の中であるといわれる。そのビジョンを実現するためにこれまで研究してきたわけだ。

mRNAはメッセンジャーリボ核酸の略だ。この分子は、細胞核内の遺伝性分子DNAから細胞のタンパク質工場であるリボソームに遺伝情報を運ぶ。そして遺伝情報が生物活性に変わっていくわけだ。

しかし、1990年に入ると、mRNAは遺伝性分子DNAによって影が薄くなり、多くの生物科学者はDNA研究開発に専心し、何十億ドルもの助成金を受け取ってきた。

そのような中でもカリコー博士はmRNA研究を米ペンシルバニア大学で続けてきた。同博士は、「40年間余り、研究開発費の助成金を申請してきたが、もらえなかった」という。

研究でもいろいろな試練があった。「mRNAは薬としては不適切であるように見えた。それはレシピエントの免疫系が外部から入ってきたmRNAを不審なものと認識して、それを駆逐しようとするからだ」という。

しかし、2005年、米国の生物学者ドリュー・ワイスマン博士との共同研究の中で、カリコー博士は自身のアイデアで何が問題かを分析し、アイデアの弱点を発見し、RNAを再構築した。天然のRNAビルディングブロックウリジンを合成シュードウリジンに置き換えることで、RNAは体内で外来者として攻撃されず、メッセージを伝えることができたのだ。

カリコー博士はmRNA療法を具体的な医療の場で現実化するために、2013年、ドイツのマインツのビオンテック社にきた。ビオンテック社は当初、mRNAをガン治療に投入することを目標としていたが、2020年、新型コロナウイルスの感染が欧州でも拡大したため、急遽、カリコー博士が開発した技術を利用してコロナ・ワクチンを製造したわけだ。

カリコー博士の家庭では彼女の娘のジュジャンナさんが唯一のスターだった。娘はボート競技で2つのオリンピックの金メダルと5つの世界選手権のタイトルを獲得した著名なスポーツ選手だ。母親は今回有名な賞を受賞したことで科学界のスター入りしたわけだ。なお、カリコ―博士はワイスマン博士と共にノーベル生理学・医学賞の有力候補者に挙げられている。

COVID-19に対するワクチンは、カリコー博士のゴールではない。彼女の目標は「mRNAががんだけでなく遺伝性疾患に対しても新しい治療法の基礎になることを望んでいる。さまざまな病気に合わせたオーダーメイドの薬の開発だ」という。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年9月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。