「ワクチン接種していない証明書」登場

欧州各地でコロナ・ワクチンの接種義務化に抗議するデモ集会が開かれている。マスクの着用を求めたガソリンスタンドの若い店員を中年男性が射殺するという事件が起きたばかりだ。デルタ変異株の感染拡大に対応するために欧州各国政府は国民にワクチンの接種を強く求めているが、どの国でも20%前後の国民はワクチン接種を拒んできた。

ワクチンを接種していないことを懸命に証明するキックル党首(オーストリア自由党の公式サイトから)

そのような中、オーストリアの野党、極右政党「自由党」のヘルベルト・キックル党首は24日、記者会見を招集し、自分はワクチンを接種していないということを証明する医者からの診断書を掲げ、「見ろ、私はコロナ・ワクチンを接種していない」と記者たちの前で声高く語る姿を見た。「ワクチン接種証明書」ならば理解できるが、キックル党首は「ワクチン接種していない証明書」を見せて、誇示しているのだ。

時代は「3G」から「2G」、最終的には「1G」時代に突入しようとしている。「3G」とは、ワクチン接種証明書(Impfzertifikat)、過去6カ月以内にコロナウイルスに感染し、回復したことを証明する医者からの診断書(Genesenenzertifikat)、そしてコロナ検査での陰性証明書(Testzertifikat)だ。ドイツ語で「Geimpft」「Genessen」,そして「Getestet」と呼ぶことから、その頭文字の「G」を取って「3G」と呼ばれてきた。

新規感染者が日に2000人前後に増えているオーストリアでは「2G」に入ろうとしている。近い将来、ワクチン接種証明書と回復診断書の「2G」だけとなり、最後はワクチン接種証明書だけがレストラン、劇場、コンサートなどに同席するために有効となる「1G」の時代に突入する雲行だ。

キックル党首が24日、テレビのカメラを前にして、「私はワクチンを決して接種していない」と述べ、知り合いの医師の診断を受け、血液検査を通じて、「僕の体には抗体は存在しないことが明らかになった」というのだ。キックル党首はワクチン接種証明書ではなく、これまでにワクチンを接種していないことをカメラの前で懸命に語っているのだ。コロナ時代の狂気がもたらした政治劇といえはそれだけだが、笑っている傍で涙がこぼれてくるシーンだ。

しかし、キックル党首にはそれなりの理由はある。与党国民党系ロビイストがテレビで、「キックル党首はワクチン接種を批判しながら、秘かにワクチンを受けていた」と語り、その情報が広がってしまったからだ。キックル党首は、「それが事実だったら、私への信頼は完全になくなってしまうから、ワクチンを接種していないことを証明せざるを得なくなった」というのだ。

自由党はコロナ・ウイルスの感染が拡大し出した時から、マスク着用を拒否し、コロナ・ウイルスなどは存在しないと豪語し、コロナ規制には常に反対してきた。国民議会では基本的には議員はマスクの着用を求められているが、マスクの着用を拒否。その結果と言えば可笑しいが、自由党幹部のクリスティアン・ハーフェネッカー議員がコロナに感染。オーバーエステライヒ州の自由党ハイムブフナー党首はコロナに感染し、集中治療室にお世話になってしまった。

ただし、デルタ変異株の感染拡大を受け、自由党内でもマスク着用、秘かにワクチン接種をする政治家が出てきた。キックル党首は、「ワクチンを接種するかどうかは個々が判断する問題だ。党は党員に強制する考えはない」と説明、党員の中にワクチン接種者が出てきても全く個人の問題と受け取ってきた。

そのような時、メディアで「キックル党首は秘かにワクチンを接種している」という情報が流れたのだ。キックル党首は素早く、その情報を流した人間を告訴する一方、医師に血液検査を通じて「自分にはコロナ・ウイルスへの抗体がない」ことを医学的にも証明しようとしたわけだ。

キックル党首は記者会見で無抗体証明書を示し、「自分の個人の健康に関するデータが記述されている。コピーするから誰でも見ることができる」と証明書を掲げて、自身満々に語りかけた。

キックル党首はこの日、どうしたらコロナ感染を防げるか、コロナ禍下の国民経済の回復策など、国民が直面している問題には全く言及せず、自分が決して隠れてワクチンなど接種していないということの証明に躍起となっていた。

2015年、欧州に中東・北アフリカから大量の難民が殺到した時、自由党はキリスト教社会の欧州をイスラム教徒の北上を阻止する騎士のように難民受け入れに反対し、国民の支持を受け、勢力を拡大していった。当時は、自由党にもそれなりの「大義」があったが、キックル党首の非ワクチン接種証明書を手に持って声高く叫ぶ姿には残念ながら如何なる「大義」もなく、ただ自分は隠れてワクチンなど接種していないということを懸命に訴えているだけだ。

免疫学者やウイルス学者は、「ワクチンを接種する以外に現時点ではコロナ・ウイルスに対抗できない」と繰り返し語り、ワクチン接種を強くアピールしている。病院に運ばれる若い患者が増え、多くはワクチン接種を拒んできた人か、基礎疾患がある国民だ。キックル党首はワクチンは必要ないと主張するが、それを鵜呑みにした国民がワクチン接種を拒み、感染した場合、キックル党首はどのように償いできるだろうか。野党の党首とはいえ、政治家である以上公人だ。自身の発言が若い世代にどのような影響をもたらすかを考えるべきだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年9月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。