接待と不正

「官製談合」といわれるものにもさまざまあって、よくその構造を理解しないと新聞記事やテレビのニュースで報じられたことを誤って理解してしまう。

まず、「官製談合」と呼ばれるものはそのほとんどのケースが「官製談合防止法」(正式名称は「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」である)違反が問われるものである。その刑事罰を定める8条では次の通り定められている。

職員が、その所属する国等が入札等により行う売買、貸借、請負その他の契約の締結に関し、その職務に反し、事業者その他の者に談合を唆すこと、事業者その他の者に予定価格その他の入札等に関する秘密を教示すること又はその他の方法により、当該入札等の公正を害すべき行為を行ったときは、五年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金に処する。

それは、入札談合に対して発注機関職員が関与する場合と、入札談合以外の入札不正に関与する場合の両方を扱うものであり、「官製談合」なのに「入札談合」ではないという不思議な現象が生じるのはそのためだ(ただ、官民間の癒着も含めて「談合」と呼ばれることがある)。まずはどちらのケースなのかを理解することから始めなければならない。

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特定の業者を優遇するタイプの官製の入札不正の構造は分かりやすい。優遇される側と優遇する側の利害が一致する構造は容易に理解できよう。その典型が贈収賄である。だからこの種の事件では当局はまず賄賂の授受を疑う。取材する方も、容疑者である公務員側に借金がなかったか、ギャンブルにハマっていなかったか、飲み食いを一緒にしていなかったか、接待攻勢はなかったか、などなどを調べようとする。

しかし、多くのケースではそういった贈収賄のケースにはならず、官製談合防止法違反事件だけで終わる。事実はあったが証拠がなかったのか、事実自体がなかったのか。後者の場合、なぜそのような優遇があったのかが問題になる。多くの人はこう考えるだろう。天下りとかもっと長期の見返りを期待したのだろう、あるいは同じ高校の先輩後輩のような人的関係があったのではないか、などなど。

それもあるだろう。でもそういう関係がなかったらどうか。読者にはそこから先に関心を持ってもらいたいが、なかなかそういった議論には行きつかない。興味がある方には、是非、拙著『公共調達と競争政策の法的構造(第2版)』上智大学出版(2017)を読んでもらいたい。

筆者は、新聞やテレビの記者からよくインタビューを受けるが、ボツになることも多い。30分、1時間かけていろいろ説明すると、ほとんどの記者は「よくわかりました」ということになるのだが、記事にならないし、コメントが採用されない。後で聞くと、「デスクが…」となる。要は、そんなこといっても「読者(視聴者)にはわからない」ということのようだ。

「接待→不正」という構造はわかりやすい。競争入札に影響を与えれば官製談合防止法違反(+収賄)という思考回路は典型的だ。許認可が絡むケースも同様である。「接待」という経済的利益が「受注」という経済的利益と結び付く。数万円、数十万円の接待が数千万円、数億円の利益になるならとんでもないレバレッジになる。当然、接待を受ける側が他人のポケットに影響力を持っているからそういう事象が生じるのであって、自分のポケットマネーならあり得ない話である。

最近、接待疑惑のニュースが多い。第三者委員会が立ち上げられて、あるいは大臣が会見して、「契約や許認可の不正にはつながっていない」という報告がなされる。届出義務違反、倫理規程違反ということで処理される。最近見慣れた光景だ。

捜査機関でもないので調査(権限)には限界がある。不正の存在を認定することは、この種の調査では一般的に困難である。そういった事情も考慮しなければならない。

接待が不正な契約に結び付く。そういうケースもあるだろう。官製談合事件ではよくある話だ。しかし、そういったケースは単発的な飲み食いで終わるようなものではなく、もっと露骨で過剰な癒着が形成されることが多い。リスクを犯すにはそれだけの報酬が必要になる。

接待は何らかの見返り(の期待)がなければ、そもそもする必要がない。全く無関係な者同士で奢る、奢られることはなく、どこかで利害関係があるからそうするのではないか、という声を聞く。確かにその通りだ。ではその見返り(の期待)とは何か。接待を理解することの難しさは、実は、「具体的な何か」が見えないところにあるのではないだろうか(もちろん「具体的な何か」が露骨に存在する場合もあることは否定しない)。

企業役員と幹部官僚が飲み食いを一緒にし、企業側が全部を支払ったり、多くを支払ったりする。そこでは世間話程度の話にしかならない。帰り際に「引き続きよろしくお付き合い下さい」といって散会となる。何を「よろしく」するのか具体性はないまま、それで終わりである。多分、そういう接待が多いのだろう。もちろん、近年問題になった接待(疑惑)が実際どのようなものだったかを筆者は知る由がない(ので、評価はできない)。

重要なのは、接待された側には、美味しい料理とお酒をご一緒できた、お世話になったという経験が記憶される、ということだ。つまりその接待は、ネットワークの形成のための「手懐け行為」で、楽しい時間を共有することに狙いがある。だから露骨な事業の話は必要ない。誰か政治家の悪口の共有でもよい。人間は弱いもので、悪口の共有は仲間意識を醸成する。

飲食をするなら自分のお金では絶対に行かない高級店、贈り物をするならば自分のお金では絶対に買わない高級食材が効果的という。同じ金額をそのままもらうよりも嬉しい経験としてのインパクトが大きいからのようだ。

どこかで何かがあるかもしれない。そういった「ふわっ」とした将来への期待でよい。悪い印象を持たれたくないという企業の防衛本能なのかもしれない。そういうものの積み重ねで世の中ができているという体感があるから、そういう文化が残る。「お付き合い」程度の意識だから悪気がない。そういう見方はどうだろう。

一連の接待問題の本質は「ソフトなネポティズム(縁故主義)」にあると思う。もしそれが問題だというのであれば、利害関係(者)の射程もそういった観点から見直すべきだろう。