「岸田内閣は、古い自民党から変わってないない」とか「国民世論や一般党員の意思を無視して安倍・菅路線を継続」とか報道するマスコミが多いが、奇妙な話である。
そもそも、古い自民党とは何だろう? 菅内閣の主要閣僚であり、菅前首相が後継として支持した河野太郎に対して、一貫して菅首相に党内野党的に抵抗してきた岸田文雄が勝ったのに、改革でなく継続だというのは、著しく通常の国語と違う用法だ。
安倍・麻生支配だから古い? 安倍政権は、谷垣総裁が勇退したのち、党内主流派の推す石原伸晃、橋本・小渕首相を出した旧竹下派の系統に属する石破茂、清和会の領袖である町村信孝というそれこそ「守旧派」を破って安倍晋三は政権をとり、外交においても内政においても相当に斬新な政治を行った。
それをもって「古い政治」と表現するのは、相当に頓珍漢で恣意的な用語法であろう。
そもそも、ここ50年間の保守政治の主流と言うのは田中角栄的な公共事業利権と義理と人情の支配する政治だった。それまでの、戦前的なエスタブリッシュメントの支配に変わってでてきた新興勢力だった。
さらに、それは、竹下登の登場によって、陣笠政治から地方議員政治、より硬直的な縦割り行政の支配に変わった。この田中・竹下派の首相ないしその傀儡による支配は、短い三木・福田時代を除いて小渕内閣まで続いた。
その間に、自民党から小沢一郎らが飛び出したが、竹下派の内紛の結果に過ぎない。それが古い自民党のはずだ。
そして、小泉政権のポピュリズムの時代とその継承政権のもたもたもた、民主党政権のあと、世界の中で日本の国益をどう守っていくかと言う視点を優先する政治を主張したのが、安倍であり、その賛同者が吉田茂の孫である麻生だった。
岸田の宏池会は、吉田茂の派閥のなかで比較的に政治より経済に関心が強かった池田勇人の流れを組む。吉田茂の孫であるがやや保守的な考えの麻生太郎が、アンチ吉田だった岸の孫である安倍についたのは、外交などについての考え方が一致したからにほかならないが、その麻生が吉田の流れをくむ岸田についたことも不思議でない(吉田茂と安倍の間には明治維新の継承者としての共通意識があるから野合とはいえない)。
それでは、今回の選挙で排除されたのが何だったかといえば、ひとつは、田中、竹下的な政治である。石破、二階は旧竹下派の正統派だし、菅も地方議員出身で体質的には共通したものがある(菅義偉をそれだけで語るわけにはいかないが)。
ついでに小泉的ポピュリストの政治も、小泉進次郎の大失敗で叩きのめされたわけだ。女性の総裁候補が2人出たと言うことも大きな変化だった。
こうして総括して、岸田内閣の誕生が、変化のない政治、古い自民党の政治で、河野太郎、石破茂、小泉進次郎、菅義偉という敗者の側の政治が、新しい政治だという理屈はどこにあるのか?
まさか、問題がまったくないとはいわないが、いくら調べたところで、安倍サイドに巨額の資金が流れたとか、巨大利権が流れたとにはなるはずもない、モリカケについて再調査を野党支持者や朝日新聞が納得するまで、何度でも繰り返してやるのが、新しい政治といいたいのではないだろうが。
甘利幹事長の事件にしても、説明が妙に弁解がましくて下手くそだとは思うが、不起訴処分になった案件について、閣僚を辞任し、五年も経過しても党役員にすらなれないというのは、二重国籍を解消したといっても十分な説明もしてない蓮舫や、詐欺罪で刑事罰を受けた辻元晴美が党の幹部になっている立憲民主党の状況からしても、あるいは、国際的な常識としても、あまりにも不均衡な追及のように見える。