オーストリアのクルツ首相は31歳の若さで首相に就任し、欧州の保守派政党の“期待の星”と受け取られ、ドイツのメルケル政権では常にウエルカムされた常連ゲストだったが、7日、そのクルツ首相の政治生命は突然、大揺れとなったのだ。何が起きたのか、以下、説明する。
経済および汚職検察庁(WKStA=ホワイトカラー犯罪および汚職の訴追のための中央検察庁)が6日、クルツ首相の与党国民党本部、財務省などを家宅捜査したというニュースが流れた。クルツ首相への容疑は贈収賄や背任の疑いだ。2016年、ケルン社会民主党連立政権で外相を務めていたクルツ氏は国民党と自身の世論調査結果を恣意的に操作するためにオーストリアの日刊紙「エステライヒ」に対して、財務省からの資金を使って工作したという。その内容はクルツ首相と当時財務省の事務局長だった友人のシュミット氏との間で交わされたチャットから明らかになっている。
同疑惑に対し、クルツ首相は6日夜のオーストリア国営放送のニュース番組で、「問題が起きれば、いつも自分の責任にされる」と反論し、首相を辞任する考えはないことを強調した。オーストリアのメディアでは今回の出来事は“第2のイビサ事件”と呼んでいる。
イビサ事件とは、極右政党「自由党」の党首シュトラーヒェ氏が2017年、スペインの保養地イビザで自称「ロシア新興財閥(オリガルヒ)の姪」という女性と会合し、そこで党献金と引き換えに公共事業の受注を与えると約束する一方、オーストリア最大日刊紙クローネンの買収を持ち掛け、国内世論の操作をうそぶくなど暴言を連発。その現場を隠し撮りしたビデオの内容が2年後の19年5月17日、独週刊誌シュピーゲルと南ドイツ新聞で報じられたことから、国民党と「自由党」の連立政権は危機に陥り、最終的にはシュトラーヒェ党首(当時副首相)が責任を取って辞任。その後、議会で不信任案が可決され、クルツ連立政権は崩壊し、専門家による暫定政権後、早期選挙となった。クルツ首相は“第2のシュトラーヒェ”となる可能性が出てきたことから、今回の政治騒動を“第2のイビサ事件”と呼ぶわけだ。
国民党と連立を組む「緑の党」のコグラ―党首(副首相)は6日、「先ず、容疑内容の全容解明に努力すべきだ」と答え、クルツ首相の政権能力には問題がないと述べていたが、7日午前になると、「クルツ首相の公務執行能力は問題だ」と語り、クルツ首相に一定の距離を置く発言をしたことから、クルツ連立政権の分裂、早期総選挙の実施といった声がメディアで流された。「緑の党」が連立から離れると、クルツ政権は過半数(国民議会の定数は183)を失うことになるから、遅かれ早かれ早期総選挙となる。
ただし、この時期に総選挙を実施したいと考えている政党はいない。野党社会民主党幹部は、「2年ごとに選挙など行いたくはない」と本音を吐露している。その上、国民的人気のあるクルツ首相の国民党が選挙で勝利する可能性が高い一方、特に、「緑の党」は選挙では得票率を落とすことが予想されているから、早期選挙には余り乗り気ではない。
はっきりとしていることは、今月12日、特別議会を招集して今回の件で協議することだ。メディア情報によると、全野党はクルツ首相に対して不信任案を提出するという。ただし、社民党、自由党、ネオスの3野党だけでは過半数とならないから、「緑の党」の支持を得なければならない。不信任案の採決で「緑の党」から最低7議席の支持があれば、不信任案は可決される。そうなればクルツ首相の政治生命は終わりに近づくわけだ。
その後のシナリオは、クルツ首相主導の現連立政権は辞任に追いこまれ、国民議会選挙の早期実施となる。新政権が発足するまで第1イビサ事件と同様、専門家による暫定政権が発足される。
もう一つのシナリオは、国民党がクルツ氏に代わって他の人物を新しい首相に担ぎ出して、国民党と「緑の党」の連立政権を継続することだ。ただし、国民党がクルツ首相辞任要求を受け入れる可能性は現時点ではない。
クルツ首相の今後は、連立政権のジュニア政党「緑の党」の出方にかかっている。「緑の党」が政権維持に固執するか、それとも連立政権を崩壊させ、早期選挙に臨むかだ。後者のシナリオは、公平と正義を看板とする「緑の党」の公約は保てるが、党の議席を失う可能性が高い。
ファン・デア・ベレン大統領(「緑の党」出身)は国民党が法務省に圧力を行使しているとして、「法務省(「緑の党」管轄)に政治的圧力を行使することは許されない」と指摘し、暗にクルツ首相を批判している。
クルツ首相は8月28日、ニーダーエストライヒ州の州都サンクト・ペルテン市で開催された第39回国民党大会で99・4%の支持を受けて再選された。クルツ首相の夫人は年内にも最初の子供を出産する予定だ。クルツ連立政権は税制改革を決定し、環境保護対策、コロナ対策でも一定の方向性が見えてきたところだ。その矢先、クルツ首相への容疑が浮上してきたわけだ。日本の永田町だけではない、オーストリアの政界も“一寸先は闇”だ。
ちなみに、第1イビサ事件では主人公の極右党首シュトラーヒェ氏は酔った(飲ませられた)うえで暴言を吐き、自身の政治生命を失った。第2イビサ事件の中心人物、クルツ首相はしらふでチャットで暴言を書き、賄賂や世論操作などを行った容疑を受けている。後者のほうがもっとたちが悪い、といった批判の声が野党から聞かれる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。