オーストリア国民議会で12日、特別会合が開かれた。クルツ首相の辞任と新首相の任命を受け、与野党が今月6日から政界を震撼させてきたクルツ首相の辞任劇について激しい議論が交わされた。当方はオーストリア国営放送の中継を見ながらフォローした。
シャレンベルク新首相とラインハルト新外相(前駐仏大使)の国会デビューの日だ。カメラマンのフラッシュが議場内を覆ったが、議論が始まると、クルツ首相への容疑問題で野党側の批判とそれに反論する与党「国民党」の双方の批判合戦が飛び交った。
8日に首相を辞任したクルツ氏は国民党党首に就任したが、12日の特別会合は、クルツ氏がまだ議員資格手続きを完了していないこともあって欠席の中、進行した。クルツ氏の世論調査の操作とその謝礼を財務省の公金で払った汚職、背任の容疑について、社会民主党、自由党、ネオスの野党側は、「クルツ首相の辞任で容疑の幕閉じはできない。クルツ氏が構築したクルツ支配構造は現在の国民党の中に存続している」と指摘。クルツ・システムと呼び、その徹底的な解明を要求した。極右政党「自由党」のキッケル党首は、「欧州保守派の希望の星だったクルツ氏は今や堕天使となってしまった」と強調、クルツ氏の容疑の全容解明を求めた。
政界では一旦権力から離れると、政敵からは徹底的に批判され、罵倒されることはよくあることだ。国民党は、「クルツ氏への容疑は捜査進行中であり、容疑は確定されていない。そのような時、クルツ氏の人格を罵倒する批判は正しくない」と述べていた。その点は正論だ。
ただし、特別会合が開催された12日、世論調査の操作容疑をかけられた人物が逮捕されたというニュースがオーストリア通信(APA)から配信された。クルツ氏への容疑は日毎に強まってきているという事はほぼ事実だ。
クルツ氏は24歳で内務省に新説された移民統合事務局局長に就任し、27歳で欧州最年少の外相に就任。2015年の中東・北アフリカからの難民殺到時には国境をいち早く閉鎖するなど、強硬政策を実行してきた。31歳に首相に就任すると欧州保守派からクルツ氏は希望の星と受け取られた。ドイツの「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)からは、「ドイツでもクルツ氏のような保守派の若い指導者が現れるべきだ」といった声すら聞かれた。クルツ氏はドイツ・メディアには頻繁に登場するゲストだった。
それが激変したのは10月6日、「経済および汚職検察庁」(WKStA=ホワイトカラー犯罪および汚職の訴追のための中央検察庁)が買収や背任の疑いで調査を開始し、6日には与党国民党本部、財務省などを家宅捜査したことが明らかになってからだ。クルツ氏と何度もインタビューし、表紙を飾ったこともあった独週刊誌シュピーゲル最新号(10月9日号)は「連邦首相府からの工作」という見出しで6頁に渡ってクルツ氏への容疑内容を報告している。クルツ氏が当時国民党党首だったミッターレーナー氏を世論調査の操作で落とし、党首のポストを奪っていったプロセスを詳細に報じている。シュピーゲル誌の記事を読む限りでは、10年余りのクルツ氏の政治生命はゲーム・オーバーだ。
クルツ氏の蹉跌は、極右政党「自由党」の元党首シュトラーヒェ氏のそれと重なる。同氏が2017年、スペインの保養地イビサで自称「ロシア新興財閥(オリガルヒ)の姪」という女性と会合し、そこで党献金と引き換えに公共事業の受注を与えると約束する一方、オーストリア最大日刊紙クローネンの買収を持ち掛け、国内世論の操作をうそぶくなど暴言を連発。その現場を隠し撮りしたビデオの内容が2年後の19年5月17日、シュピーゲルと南ドイツ新聞で報じられたことから、国民党と「自由党」の連立政権は危機に陥り、最終的にはシュトラーヒェ党首(当時副首相)が責任を取って辞任。その後、議会で不信任案が可決され、クルツ連立政権は崩壊し、専門家による暫定政権後、早期選挙となった。オーストリアでは“イビサ事件”と呼ばれている。
欧州の極右指導者の代表格にまでなったシュトラーヒェ氏は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いがあったが、イビサ事件のビデオがメディアに流れるとあっというまに政界から追放された。クルツ氏の場合、世論調査の工作を友人と話していたチャットが検察当局に押収され、メディアに流れると辞任に追い込まれた。クルツ氏はシュトラーヒェ氏と同じ道を歩んでいることから、メディアではクルツ氏の容疑問題は第2イビサ事件と呼ばれている。
ところで、そのシュトラーヒェ氏はクルツ容疑問題を報じていた民間放送とのインタビューに登場していた。元党首はイビサ事件で副首相の座を辞任し、全ての政治的ポストを失い、最近は病院関係者から献金を受けたという容疑で有罪判決を受けたばかりだ。そのシュトラーヒェ氏は、クルツ氏の辞任表明直後、クルツ氏に電話をかけて話したことを明らかにしている。
シュトラーヒェ氏はクルツ氏の事情を最も理解できる立場かもしれない。クルツ氏とシュトラーヒェ氏は2017年12月から1年半余り首相と副首相のコンビで連立政権を担当してきた関係だ。後者はイビサ事件で突然、全ての政治ポストを失った。一方、クルツ氏も突然、首相の座を失い、検察当局から背任、汚職の疑いを受ける立場だ。
クルツ氏の夫人は年内にも最初の子供を産む。シュトラーヒェ氏は、「セバスティアン(クルツ氏のファーストネーム)よ、政治の世界より、家庭を大切しろよ」と助言したという。シュトラーヒェ氏の体験を踏まえたアドバイスを窮地に追い込まれたクルツ氏はどのように受け止めただろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。