各党の現金給付案
矢野康治財務次官が「文芸春秋」誌に寄せた「バラマキ批判論文」が波紋を呼ぶ中、総選挙を控え各党の現金給付策の概要も出揃いつつある。下記のYahooニュース記事に各党の考え方がよく纏まっている。
現金給付は? 与野党9党の党首がnews23で論戦(TBS系(JNN))
現金給付は、要はコロナで困っている人を適切にサポートするものであるべきだが、選挙であるから矢野次官の指摘ではないが、各党からはそれ程困っていない人にも厚く給付して票を得たい、即ちバラマキをしたい気持ちも滲み出ていていじましい。当面困っていない人への給付は、消費に向かえばまだよいが、単に銀行預金に積み上がったり金融投資に回ったり目的から大きく離れ無駄になってしまう。
その観点から言うと、国民民主党の玉木雄一郎代表の次の考え等が仕組みとしては最も適切だろう。
「国は誰が困っているかが分からないんですよ。ですからまず迅速に配った上で、年末で前の年から比べて所得が落ちていないような方はお返しいただく。これが一番早くて効果的だ」
だが、上記にしてもサラリーマンは年末調整で返還するとして、前年所得データ等とマッチングしなければならず、単純に所得水準や扶養人数基準で返還額を算出する方法が実務上も現実的と思われる。
財政の判断基準
さて、現金給付に限らず、財政、歳出が単なるバラマキかどうかを分かつ基準は、凡そ下記のようなものだろう。
- 将来の経済成長(または歳出減)等に寄与し、ペイする投資か?(なおそれは、民間投資に任せるのではダメなものか?)
- またはコロナの痛み緩和等で、やむを得ない歳出か?
- 長期的な社会像を描いた上で、それに沿った歳出・投資か?
投資については、有望な研究開発分野、産業分野への投資で将来の経済成長と税収増に直接結びつくものの他、防災や防衛で将来の損害を防ぐものが含まれる。損害を防ぐ投資は国土の資産価値を高めるものでもある。加えて高市早苗氏が自民党総裁選で唱えたように、輸出が出来るような防災・防衛技術であればなお望ましい。
コロナでのやむを得ない歳出については、前述の現金給付も含め適切な対象へ迅速に行われるべきなのは言うまでもない。
長期的な社会像も迂遠なようで重要である。さもなければ目的地のない登山や、達成目的の無い戦争の様になってしまい迷走を繰り返すだろう。
筆者は長期的な社会像としては、「ナショナル・ミニマムを伴う自立社会」を掲げたい。
現在、岸田新政権が分配と成長の優先順位で右往左往しているように見えるのは、その上位概念として在るべき社会像がぼんやりしているからである。鋭意改善を求めたい。
国債発行
なお、矢野論文へ財務省出身で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が、手厳しい批判をしている。
財務事務次官「異例の論考」に思わず失笑…もはや隠蔽工作レベルの「財政再建論」
財務省が「増税翼賛会」と揶揄されるような自らを頂点としたシンジケートを政財官学界及びマスコミに形成し、これまで日本の内政を歪めて牛耳って来ており、矢野事務次官がその財務省の増税緊縮路線を忠実に唱えている事には、筆者も予てからかなり批判的である。
だが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、足らざれば元より成らず。高橋氏が政府と日銀の統合バランスシートを作成しそれで日銀の資産となっている分の国債発行残高が相殺されるので、幾らでも紙幣を刷っても大丈夫と言わんばかりのモードである事には異を唱えたい。
そもそも、お金は簡単に言えば物資やサービスの引換券であり、自ずとそれら見合った発行量があるだろう。それが過剰であれば、ハイパーとなるかは分からないが何れインフレとなる。
国債発行は適切な投資により将来の物資やサービスが増え、経済成長により税収増として国庫にリターンする事、または国土の資産価値増として国債残高とバランスする事により、恒久的な物語りが成立し財政の健全性、ひいては国家の存続が担保されると言える。
特にこのコロナ下、短期的には国債を発行する事に躊躇するべきではないが、その具体的内容と裏付けとなる哲学については、総選挙に於いても皮相で近視眼的議論に陥ることなく、各党間および識者、マスメディア等で厳しく議論され、国民に明示されなければならないだろう。