スーパーマンの息子は性少数派??

「スーパーマン」を知らない人はいないだろう。そのスーパーマンの原作者ジェリー・シーゲル(Jerry Siegel)は1914年10月17日、米オハイオ州のクリーブランドに生まれた。生誕107年を迎えたばかりだ。スーパーマンのファンの1人として祝賀のコラムでも書こうかと考えていたとき、「スーパーマンの息子ジョン・ケントはバイセクシュアルで来月のコミック新刊でケントがジャーナリストのナカムラ青年を愛する場面が描かれている」というニュースが伝わってきたのだ。どうして、スーパーマンの息子が性少数派なのか。

2代目スーパーマンは性的少数派(独ターゲスシュピーゲル紙10月13日電子版から)

シーゲルが生まれた年は第1次世界大戦勃発の年だ。彼は1938年6月、学友のジョセフ・シャスター(作画担当)と共にスーパーマンを初めて世に出した。スーパーマンは発表直後からアメリカ国民の心をとらえ、大ヒットとなった。

この年は、ヒトラーがナチスドイツ軍を率い台頭してきた時だ。2人のユダヤ系米国人(シーゲルはリトアニア系ユダヤ人、シャスターはトロント生まれのユダヤ人)が架空の惑星クリンプトンから地球にきたスーパーマンを生み出したわけだ。スーパーマンの本名はカル・エルというヘブライ語名だ。カルは「速い」、「エル」は神を意味する。

興味深い点は、スーパーマンのプロットだ。ユダヤ民族の歴史と重なる部分が少なくないのだ。スーパーマンは惑星クリンプトンで生まれたクリンプトン人だ。その惑星が悪者に乗っ取られ、危機に瀕したために、父親が救援カプセルに乗せて脱出させる。ここまで聞くと、旧約聖書のモーセの話を思い出す人がいるだろう。エジプトの王パロの追求から逃れるために、モーセの母親が幼子のモーセを籠に入れて河辺の葦に隠した話と酷似している。

地球では子供のない家族がカプセルを見つけ、その中にいた赤ん坊を引き取る。そこでスーパーマンは普通の子供として成長していく。ある日、自分がクリンプトン人であることを知る。クリンプトン星では重力が強いが、地球の重力は弱いので、彼は空を飛び、さまざまなスーパーパワーを発揮し、困っている人を助け、活躍する。

スーパーマンは地球で知り合った女性ジャーナリストと結婚し、1人の息子ジョンが生まれた。11月のコミック新刊ではその息子がバイセクシュアルという設定で描かれているのだ。バイセクシュアルを良くないというより、地球上の大多数を占める通常の若い青年としては描かれていないのだ。

米国のコミック文化に通じた記者によると、コミックやポップカルチャーでは性的少数派は至る所で活躍しているというのだ。スーパーマンから1年遅れの1939年5月に初登場した「バットマン」にはスーパーマンのような歴史的なプロットはない。ボブ・ケインとビル・フィンガーが創作したバットマンの主人公ブルース・ウエインは幼少時代に両親が殺害されたことから、トラウマに悩みつつ、悪に復讐していくストーリーだ。バットマンは1966年にテレビ放送され、1989年に映画化されることで人気を不動なものとした。そのバットマンの相棒ロビンもバイセクシュアルであるという。スーパーマンの息子、そしてバットマンの相棒が性的少数派に属する人々として描かれているわけだ。

性的少数派やそれを支持する人々からはきっと「それがどうしたの」と言われるかもしれないが、昭和時代に生まれ、スーパーマンの活躍に心を躍らせた世代としては逆に「どうしてスーパーマンの息子が性的少数派でなければならないのか」といった思いが出てくるのだ。ひょっとしたら、スーパーマンの母国、クリンプトン星では人はバイセクシュアルかもしれない、といった考えすら湧いてくる。

ハリウットの映画では必ずといっていいほど性少数派の人物が登場する。「社会の多様性を反映している」という説明も聞くが、性少数派が登場すれば、ファン獲得の上でもプラスという映画製作者の計算が働いているという。

当方が今、Netflixで見ている「Designated Survivor」(サバイバー、宿命の大統領)でも副大統領候補者のガードマンとホワイトハウスで働く若い青年が同性愛に陥るというストーリーが出てくる。映画自体のメインストーリーからいえば、そのようなプロットは必要ではないが、ここでも「性少数派が登場しないと社会の多様性が描かれない」という理由からの配分なのだろうか。

映画やコミックの世界でLGBTQキャラクターがあたかも最新モードのように登場する。米国の俳優アンソニー・ラップはツイッターで、「スーパーマンの息子がバイセクシュアルであることを知って嬉しく思う」と書いたというが、当方は憂慮せざるを得ない。特に、伝統的な英雄、スーパーマンやバットマンは若い世代に大きなインパクトを与えるだけに、その潜在的な影響は計り知れない。性的少数派が映画やコミックの世界でそれが本流であるかのように演じることは、少なくとも社会の多数派を反映しているとは思えないからだ。

初代スーパーマンはヒトラーが登場し、世界が戦争に巻き込まれるような社会状況下で誕生した英雄だ。2代目のスーパーマンは、物質的な恩恵のもと消費文化を謳歌できる社会状況下にありながら、人生の目的、普遍的な価値観を見いだせずに彷徨う人々が生きている時代に登場した。バイセクシュアルの青年である2代目のスーパーマンは、地球温暖化への危機感を持ち、多様性の中で何が本物か、真実かを見いだせずに苦悩する多くの若者の1人として描かれているわけだ。多分、多くの若者を惹き付けるキャラクターかもしれないが、初代スーパーマンのような英雄像ではない。現代人と同じ目線での英雄像とでもいえるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。