40歳で分かった「30代あるある」の3つの誤り

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

本日は30代最後の日、明日から40代になる。10代になる時は20代になるのが怖かったし、20代の時は30代になど、永遠になりたいと思わなかった。これは生物としての「死」に対して恐怖を感じていたからではなく、その途中にある「老い」の方が恐ろしいと思っていたからだ。しかし、ジタバタしても無情に時は過ぎていく。内面の感覚はまだ20代でも、社会的な記号上は間違いなく40代なのだ。

nirat/iStock

よく「30代からはオールできなくなる」「物覚えが悪くなる」といった声が聞かれる。それに呼応するようにSNS上では「これは本当だ」といった反応が返され「あるある」話として盛り上がる。そのやり取りを見て加齢に恐怖する人もいるだろう。だが、40歳を迎えるにあたり、世間的に言われる「30代からはこうなる」というあるある話には「これは全員に当てはまらないのでは?」と感じるものが3つある。今回はその3つをお話したい。

誤解・30代は10代・20代に比べて頭が悪くなる

30代以降の年代になると、「新しいことが頭に入らなくなる」「新しいことに抵抗感がある」「記憶力が顕著に衰える」といった声は山ほど見てきた。

しかし、これは明確に誤りで、そのように主張する人たちは大抵勉強をしていないだけだ。人間は使い続けている能力は衰えることは早々なく、むしろ経験を経て熟練すらできる。筆者自身、10代までまったく勉強をせず、20代から本気で勉強をした。そして30代はそれまで以上に仕事を通じて必要な勉強を続けてきた。その結果、脳科学に基づく効率性の高い記憶法などを実践することで、むしろ記憶力は高まったと感じている。端的に言えば「反復インプット」と「アウトプット」だ。大人からの脳は単純記憶ではなく、文脈を通じたエピソードでの記憶が効果的だ。繰り返し同じ内容にアタックしつつ、その内容に対して自分の意見などを記事に書いたり、人に話すことで記憶の定着は高まる。

また、記憶力だけでなく論理的な思考力や、物事の本質を捉える力も訓練で伸ばすことができる。特にビジネス記事を書いたり、講演で人前で話すアウトプット経験を経て飛躍的に高まった。それは加齢による衰えを圧倒的に凌駕する高まりである。筆者はこれまで1000記事以上のビジネス記事を書いてきたが、アウトプットした内容はすべて頭の中に残っている。記事タイトルを見れば、書いた内容は瞬時に思い出せる。

「30代になると若い頃に比べて頭が悪くなる」と主張する人は、勉強やアウトプットを止めているだけである。使わない能力は、加齢とは無関係に錆びついていく。

誤解・35歳限界説

世の中には就職や結婚、起業などの限界説に「35歳まで」と区切られる事が少なくない。「もう30代なかばで子供もいるので…」と新規の挑戦に対し、シニカルな諦めを見せる人をかなり見てきた。

確かに35歳を超えることで、アスリートになるなど、挑戦が顕著に難しくなる分野があるのは否定しない。だが、その逆にそれまでの人生経験がプラスに活きる分野も存在する。筆者は多くのビジネスの活動がこれに当たると感じた。会社をやめて専業での経営者、書籍の商業出版、ビジネス講演、英語講師など、これらは35歳以降の子供が二人いる状況ではじめた。つい先日も、海外視聴者に向けて英語でのYouTube発信をスタートしたばかりだ。まだまだ小さなチャンネルだが、少しずつ外国人からのコメントが来たり、チャンネル登録が生まれつつある。

「35歳だからもう遅い」というのは、全員・全分野において当てはまることはない。

誤解・30代以降は惰性の人生が始まる

「30代後半ともなると、人生の先が見えてつまらなくなる」「何をやってもつまらない。新鮮さが感じられない」といった声が聞かれる。要するに人生に飽きてしまうということだ。

筆者も同じ心境を覚えた瞬間はあった。もっとも、30代後半を待たず20代後半で一時期この感覚に陥った。だが、これに対しても処方箋は存在する。まず、30代にもなると熱心に映画やゲーム、アニメにハマっていた人たちも飽きるというのは、考えてみれば簡単な理由だ。初めて見聞きする内容は新鮮に感じても、エンタメ作品は概ね、話の展開や主張が共通しているということに気づいてしまう。その既視感で感情が動かなくなり、飽きを覚える。受動的な娯楽は、たしかに30代で飽きてしまうだろう。

だが、発信者側に転身することで、世界の見え方はまさしく一変する。筆者も昔は膨大に書籍を読み、ビジネス講演の話を聞くことにハマったが、途中で飽きのタイミングが訪れた。しかし、発信者側に立ったことで世界が変わった。ビジネス記事を書き、YouTubeや講演で人前で話をする。これは面白い。渾身の力で作った作品への反応が悪かったり、その逆に驚くほど反応が良いと「自己認識と市場との乖離」が見える。「なるほど、自分はこう思っていたが、マーケットとはこのように感覚がズレていたのか」「この伝え方では、相手は誤解してしまうのか勉強になった」などと新たな知見が得られ、改善点がわかる。この気付きは次回作に反映させたり、人とのコミュニケーションを取る上で話のネタになってくれる。日々、成長が感じられ、マーケットのビビッドな情報も入ってくる一連のプロセスはとても楽しい。

振り返ってみれば、発信者側に立ってからは、「人生に飽きた」という感覚は一度もない。「人生に飽きた」と嘆く人は、受動的な生き方を卒業して能動的な活動への転換点が到来していると理解するべきだろう。

筆者は加齢に伴って「もう○歳なのだから」とシステマティックに年齢で区切られる窮屈さを思い、言いようのない居心地の悪さを覚えていた。だが、40代になるにあたり、そうした最大公約数的なカテゴライズへの要求に対して、そのすべてを迎合する必要はないと思っている。もちろん、年相応の振る舞いが求められる点があるのは理解しているが、自分らしい生き方まで諦める必要はない。30代こそ、10代や20代で蓄えた知識を総動員して、意欲的に活動を続けることを勧めたい。

今は40代の終わりに、そこで新たな風景がどう見えるのかが密かな楽しみである。

 

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