マネー・システムという「幻想」の行方(原田 大靖)

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グローバル・インテリジェンス・ユニット チーフ・アナリスト 原田 大靖

仮想通貨「ビットコイン」がまた高騰している。一時は6万7,000ドル(約760万円)近くまで上昇し、一部のストラテジストは年末までに10万ドル(約1,150万円)にまで達するともみている。仮想通貨(暗号資産)、中央銀行デジタル通貨(CDBC)、ステーブルコインなど、マネーをめぐる昨今の動きは目まぐるしく、まさにマネー・システムの転換点にあるともいえる。

しかし、下図のようにデジタル化、分散化しているマネー・システムを俯瞰していると、果たしてこれらの価値を支えるものは一体何なのかとふと疑問に思う。そこで、マネー・システムの過去、現在を振り返ることで、未来の姿を描いてみたい。

図表:デジタル、分散型金融の概要 
出典:金融庁

世界最古の貨幣は、前7世紀、小アジア(現:トルコ)にあったリディア王国で鋳造されたエレクトロン貨であるとするのが西洋では定説となっている。エレクトロンという金と銀の自然の合金が使われて、スタテル貨とも呼ばれていた。他にも、中国やインドが世界最古だという説もあるが、いずれにしても、紀元前から人類は「価値尺度」「貯蔵手段」「交換手段」という3つの機能を有するものとして貨幣を使用していたことがわかる。

図表:エレクトロン貨
出典:Wikipedia

紀元前8世紀、中国で最初につくられた貨幣は、金や銀からなるコイン型ではなく、農具(鋤、刀)の形をした青銅製のものであった。金銀の質量がそのまま貨幣の価値となっているエレクトロン貨と異なり、溶かしてもたいして価値のない青銅製の中国製貨幣は、時の支配者が権威付けし、領民の間に価値についての共通の認識(幻想)を持たせなければならなかった。

時代はさかのぼり13世紀、イタリアの旅行家マルコ・ポーロが中国(元)を訪れた際、首都・大都(現:北京)では紙幣が流通しているのをみて衝撃を受け、「元の初代皇帝フビライ・ハーンは、最高の錬金術師だ」と『東方見聞録』に記している(出典:参考)。モロッコの旅行家イブン・バトゥータも「(イスラム世界で流通していた)ディナール金貨やディルハム銀貨を市場に持っていっても、紙幣と交換しなければ誰も受け取ってくれない」と驚いている。

図表:マルコ・ポーロの肖像が描かれたイタリアの旧1,000リレ紙幣
出典:Wikipedia

なお、元では紙幣の普及によって、それまで厳しく制限されていたコインの輸出が解禁されたが、これを受け、日本では平清盛が宋銭を輸入し、ここに我が国における“本格的な”貨幣経済が導入されることになる(日本最古の貨幣としては、富本銭や和同開珎があげられるが、これらは、宗教的な目的の厭勝銭として造られた可能性も指摘されている)。

ヨーロッパでの紙幣の流通には中国とは別の背景があった。16世紀、スペインが南米でポトシ銀山を開発し、大量の銀をヨーロッパにもたらしたところ、ヨーロッパは「価格革命」とよばれる激しいインフレに見舞われた。人々は、貨幣の盗難や摩耗の危険を避けるため、ゴールドスミス(金匠)に貨幣を預け、ゴールドスミスはそれに対して「預かり証(ゴールドスミス・ノート)」を発行し、これが紙幣のように流通していったのである。

そうした中で、1694年に設立されたのがイングランド銀行であった。当初、一商業銀行であったイングランド銀行はゴールドスミスによる預金振替決済システムを基礎としつつ、英国政府への貸付を主要業務としていった。そして1833年、英国政府はイングランド銀行が発行する銀行券を「法定通貨」として認め、1844年には同行を国営化し、ここに国家が中央銀行を通じて通貨を中央集権的に管理する現代の通貨システムが形成されたのである。実は法定通貨の歴史はたった100年ほどしかないのである。

それより以前は、たとえ大英帝国であっても、国内で複数の貨幣(銀行券)が流通していたという点が重要である。例えば、「大きな政府」を望まなかったアンドリュー・ジャクソン米大統領は、政府がかつて設置した第二合衆国銀行を、州ごとの独自財政を奪うとして、これを敵視し、自らの政治生命をかけて廃止に動いた。それによって、米国内では各種銀行券がマーケットに氾濫するという事態を招いている。

図表:オーバルオフィスの肖像画をジャクソン大統領に変えたトランプ前大統領
出典:WSJ

その後、イングランド銀行が金と交換(兌換)可能なポンドを発行し、シティ・オブ・ロンドンを中心に、19世紀末には金本位制が成立し、各国に広まっていった。しかし、1930年代の世界恐慌を背景に、政府による景気調整を可能とするために、ジョン・メイナード・ケインズが提唱した管理通貨制度へと切り替わっていくことになる。金本位制は、金の保有量によって発行する貨幣が制限されるが、管理通貨制度では国家の信用が裏付けとなる。

こうしてみてくると、マネー・システムの歴史には2つの側面がみえてくる。一つは、分散していた貨幣が近代化するとともに、効率性向上のために集中していく「集約化」という過程である。また、その裏付けは、「金銀」から「信用」へと変遷しているという面である。

現在のデジタル化・分散化の流れは、こうしたマネー・システムを次のフェーズに移行させるものである。すなわち、それまで分散していたマネーが効率性を求めて集約化したにも関わらず、今後は利便性を求めて再び分散化するという、これまでのマネー・システムの歴史を逆流しているのである。また、デジタル化と相まって進展することで「情報」という新たな裏付けを生成しつつある。

金本位制であれば金の量によって、管理通貨制度であれば国家の経済力によってそれぞれマネーの増減を生ぜしめたところ、今後は情報の多寡(どれだけ多くの情報のやりとりが各マネー内でなされるか)が、いわゆる仮想通貨におけるマイニング(採掘)のような役割を果たすのではないか。もはや次のフェーズでは、通貨の発行は、国家だけに独占されるものではなく、一企業もその役割を担うことになろう。

原田 大靖
株式会社 原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
東京理科大学大学院総合科学技術経営研究科(知的財産戦略専攻)修了。(公財)日本国際フォーラムにて専任研究員として勤務。(学法)川村学園川村中学校・高等学校にて教鞭もとる。2021年4月より現職。