私は郷学研修所・安岡正篤記念館(@noushikyogaku)さんをフォローし、そのツイートを日々目にしていますが、その中でひと月半程前、次の言葉をリツイートしておきました――自分を知り自力を尽くすほど難しいことはない。自分がそういう素質能力を天から与えられておるか、それを称して「命(めい)」と云う。それを知るのが命を知る、知命である。知ってそれを完全に発揮してゆく、即ち自分を尽くすのが立命である。
「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」(『論語』尭曰第二十の五)、天が自分に与えた使命の何たるかを知らねば君子たり得ず、と孔子は言います。しかし命を知るは言うまでもなく、簡単なことではありません。また、知命だけで止まっていたらダメで、自分を尽くし立命の境地に至らなければなりません。
即ち、心を尽くし本来の自己を自覚し(尽心)、天から与えられた使命を知り(知命)、自己の運命を確立する(立命)、という一連の人間革命の原理を実践しなければならないのです。此の自己維新の一灯がやがて万灯になり、国や世界をも正しい良き方向に変えることに繋がるというのが、安岡先生の堅い信念でありました。私は、尽心・知命・立命という一つのプロセスを常に行い自己を究明し維新して行くかが、人間として生きる上で極めて重要だと考えています。
我々は、各人夫々が自分に与えられた固有の命を引き出し開発・発揮して行くといったふうに、宿命的なものを超え努力で運命を切り拓いて行くということに繋げて行かねばなりません。「運命だから仕方がない」という言い方をする人もいますが、仕方がないのは宿命(例えば日本人として生まれるといったこと)であり、運命は我々自身が変えられるものです。
運命とは読んで字の如く、「命(めい)」を「運(はこ)」ぶと書きます。対して宿は、「とどまる」という字です。命は人間の自由、わがままを許さない必然とか絶対とかいう意味を持っています。その命という造化(天)の絶対的働きの中に「数(すう)」という原因、結果、因縁、果報の複雑かつ微妙な関係を表すものがあります。従って、運命の中に含まれている命数を明らかにすれば、運命に乗じ運命を切り拓いて行く、つまりは立命して行けるのです。
人生、自分次第で変えられるところに良きところがあり、また、人間とは日々これ新たにすることが出来る有り難い動物であります。我々人間は、自己維新が出来るのです。我々一人一人は、自分で自分の命を生み、運んで行くことが出来るのです。安岡先生の次の言葉を御紹介し、本ブログの締めと致します。
――人間は機械的になればなるほど自主性、変化性のないものになる。そこで自然界の物質と同じように、その法則(数)をつかむと、それに支配されないようになる。そうして自主性をだんだん深めていったならば創造性に到着する。(中略)人間は学問修養をしないと、宿命的存在、つまり動物的、機械的存在になってしまう。よく学問修養をすると、自分で自分の運命を作ってゆくことができる。いわゆる知命、立命することができる。
編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2021年10月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。