南米コロンビアの麻薬王オトニエル氏が遂に捕まった

南米コロンビアの麻薬王オトニエル氏が遂に捕まった。

米国が報奨金500万ドルを提供していた麻薬王が捕まった

10月24日から25日にかけてダイロ・アントニオ・ウスガ氏(Dairo Antonio Usuga)が南米コロンビアで遂に逮捕されたことが世界で一斉に報道された。この人物は90年代の麻薬王パブロ・エスコバル氏に相当する人物だと評価されていた。彼は通称オトニエル(Otoniel)と呼ばれていた。因みに、パブロ・エスコバル氏の次の麻薬王は既に収監されているエル・チャポ氏。彼に継ぐ後継者とされて今も捜査を続けているのがエル・メンチョ氏。その次に米国が追いかけていたのがこのオトニエル氏だった。

オトニエル氏の麻薬犯罪による最大の被害国である米国は彼の逮捕に繋がる情報提供者には500万ドルの報奨金が用意されていた。というのも、彼の麻薬組織クラン・デル・ゴルフォ(Cran del Golfo)による米国へのコカインの密輸は年間で100トンを超える規模になっていたからだ。同様に地元コロンビアでもおよそ80万ドルに相当する報奨金が提供されることになっていた。

彼の組織はヨーロッパへも100トン余りのコカインを持ち込み、その内の70トン余りがスペインに密輸されていた。何しろ、ヨーロッパに送られて来るコカインの80%は彼の組織が牛耳っている。その内の35-45%がスペインの警察が摘発して押収していた。(10月25日付「ABC」から引用)。

スペインにコカインを潜水艇で持ち込もうとしたのもオトニエル氏だ

2019年11月にコカインを積んだ潜水艇がスペインのガリシア地方に潜入しようとした事件があった。全長22メートル、2000馬力の潜水艇が3000キロのコカインを積んで大西洋7000キロを航海。英国とポルトガルの警察からの情報を基にスペイン治安警察がそれを摘発。乗船していた3人が捕まる前にそれをガリシア地方のビゴ市の沖合に沈没させた。それを警察は引き揚げて潜水艇の全体像と束になったコカインを押収したという事件だ。これが市場に流れていれば100億円相当の代物であったという。

麻薬を潜水艇でスペインに持ち込もうとして摘発されたのはそれが最初のケースであった。しかし、これまで潜水艇での持ち込みは年間で1度か2度は行って来ていたとされている。アフリカ沖にあるスペイン・カナリア諸島の周辺で別の船に積み替えたあとに海底に沈められてそこは潜水艇の墓場になっているはずだと言われている。

当初、繊維強化樹脂で出来た潜水艇は首都ボゴターの隣接州のマグダレナ川の周辺に建造されていた。ところが、コロンビアの治安当局の監視が厳しくなって20数隻が押収されて博物館のようになっているという。それが理由で建造する場所をベネズエラに隣接したガイアナとスリナムに移した。その建造に必要な技師は旧ソビエトから雇った。建造費用は150万から200万ユーロ(1億8000万から2億4000万円)ということで1回の航海でこの費用は十分に元が取れる。だから1回使用した後は犯罪の証拠を残さないように海底に沈没させて廃棄するというわけだ。(10月24日付「ラ・ラソン」から引用)。

一方、米国に潜水艇で密輸する場合は大西洋を横断するような大型の潜水艇は必要ない。潜水艇を使うというアイディアは旧ソビエトからオランダに移民した元軍人から麻薬組織に伝わったものだとされている。

この潜水艇をスペインに行かせたのがこの麻薬組織がクラン・デル・ゴルフォのリーダーがオトニエル氏であった。

オトニエル氏の素性

オトニエル氏は元ゲリラの戦闘員でコロンビア人民解放軍(EPL)のメンバーだったが1991年に解散している。その一部残党が現在もゲリラ活動をしている。

オトニエル氏と彼の弟ジョバニ氏は麻薬組織ウラベーニョスのメンバーだった。そのリーダーが逮捕されたあとにオトニエル兄弟はこの組織を支配するようになり、クラン・ウスガと呼ばれていたのを上述しているクラン・デル・ゴルフォに呼び名を変えた。

地元紙「エル・エスペクタドール」10月23日付によると、2020年8月にはコロンビアの1100の自治体の中で211の自治体で彼らは活動していたそうだ。麻薬組織ではコロンビアで最大の組織に成長していた。

コロンビア政府はオトニエル氏の逮捕に本格始動

コロンビア政府がこの麻薬組織の撲滅に活動を開始したのは2015年のこと。2017年の当時フアン・マヌエル・サントス氏が大統領だった時にこのグループの1500人を逮捕し、100トン以上のコカインを押収したことを発表している。逮捕された中に幹部も次第に含まれるようになっていた。しかし、その間にコカの栽培は20万ヘクタールにまで及んだ。その要因のひとつはコロンビア革命軍との和平協定を結ぶための条件としてコカを栽培する農家の生計を助ける意味でその栽培の緩和化をコロンビア革命軍が政府にこの協定を結ぶ為の条件に付けたことが起因している。

ところが、2018年にイヴァン・ドゥケ氏が大統領に就任すると、この麻薬組織の撲滅を誓うのだった。軍部と警察によって徹底してコカをビジネスにしているクラン・デル・ゴルフォの取り締まりを強化したのである。その中で最大の目標としたのはリーダーのオトニエル氏を捕まえることであった。彼は一か所に3日以上は寝泊まりしない人物とされていた。しかも彼の周囲の防御網も徹底しており、地場の女性以外は女性は立ち入りを禁止した。

軍部と警察は彼が3.5キロ四方にいることを突き止め、10月22日には軍人700人と警官400人とで構成された編成部隊は包囲網を次第に縮めて行った。また空からはヘリコプターが監視を続けた。また彼の分身だった弟のジョバニ氏や彼の側近らはすでに逮捕されていた。それが彼の逮捕に結びついたというわけだった。それまでにおよそ2800人のメンバーが既に逮捕されていたという。(10月30日付「セマナ」から引用)。

クラン・デル・ゴルフォが消滅することはない。メンバーの誰かが後を継ぐはずだ。しかし、オトニエル氏が抜けたあとのこの組織はこれまでのような勢力を維持して行くのは難しいであろう。