・来年の参院選や今後の選挙をどのような戦略で戦うかは基礎から考え直さなければならないと思う。2015年の安保法制反対運動を起点とする市民運動と野党の協働という文脈はここでいったん終わることを認めるべき。市民参加の野党協力というスタイルをどう刷新するかは若い人に考えてもらいたい
— 山口二郎 (@260yamaguchi) November 2, 2021
山口二郎氏の認識は正しい。2015年が日本の政治の岐路だった。14年に安保法制が成立したときは大した騒ぎにはならなかったのに、翌年大騒ぎになったのは、憲法調査会で自民党の証人だった長谷部恭男氏が「集団的自衛権は違憲だ」と証言したことが原因だった。
それまでは朝日新聞が違憲論をとなえていた程度だったが、このときから街頭にデモ隊が繰り出し、国会で乱闘が始まった。彼らはこれで政権を倒せると思ったのだ――1960年に岸信介を退陣に追い込んだように。
「立憲主義」という虚妄
しかし安倍政権は揺るがなかった。恥をさらしたのは安保法制はクーデターだといった支離滅裂な憲法解釈を振り回したガラパゴス憲法学者だった。迷走した民主党は、これをきっかけに「追及型野党」になり、民進党と改称したが党勢は回復しなかった。
追及型野党では政権がとれないと考えた前原代表は、2017年に小池百合子氏の希望の党と丸ごと合流したが、その過程で小池氏が左派を「排除する」と発言したことから、枝野氏が立憲民主党を結成した。最初は排除された枝野氏の「ひとり政党」だった立民党は、意外に支持を広げた。
それは「立憲主義」という無内容なスローガンが、平和憲法に郷愁をもつ団塊の世代にアピールしたからだろう。しかし安保反対はもう使えないので、森友や加計や桜などのスキャンダルを果てしなく追及する情報弱者マーケティングが、立民の最後の武器になった。この点では共産党も同じなので選挙協力も実現したが、結果的にはこれが命取りになった。
いうまでもないが、国会でいくらスキャンダルを追及しても政権はとれない。安保条約が憲法違反だなどという話も、外交政策として成り立たない。山口氏が今ごろ気づいたように、2015年の安保反対闘争は野党と「市民運動」の敗北だったのだ。
60年安保の敗北と錯覚
1960年の安保反対闘争は、安保条約の改正を阻止するという目的は達成できなかったが、大衆運動は戦後最大の盛り上がりを見せた。それは不平等条約の改正に反対するナンセンスな運動だったが、社会党は岸内閣を倒したことを市民運動の勝利と考え、その後「非武装中立」などの空想的平和主義に純化して社共共闘に傾斜した。
それは一時は成功したようにみえた。1967年には美濃部東京都知事が生まれ、70年代には大都市で革新自治体ができた。美濃部が始めた老人医療の無料化や老人無料パスなどのバラマキ福祉は全国の自治体がまねた。
しかし国政で社共の結集軸だった憲法や安保は地方行政では役に立たず、経済政策ではバラマキ以外の政策が出せなかった。1979年に美濃部が退任したときは巨額の財政赤字で満身創痍だった。社共共闘が失敗だとわかったのはこのころだ。60年安保の錯覚に彼らが気づくまでに20年かかった。
今も野党の欠陥は同じである。安保も憲法もほとんどの有権者は関心がないので、政権を奪う武器にはなりえない。自民党内でも、かつて憲法改正に反対していた自民党ハト派が安保法制を容認する姿勢に転じた今、外交・国防で日米同盟以外のオプションはない。
アジェンダの再設定が必要だ
経済政策にも安倍政権がバラマキで左にウィングを広げたので、今ではバラマキは野党の売り物にはならない。反緊縮やMMTを掲げていた議員は、与野党ともに落選した。野党は何を争点にするかというアジェンダ設定からやりなおすしかないのだ。
その一つは最近よく話題になるように、日本人が貧しくなったということだろう。次の図のように、この30年でドルベースの賃金はアメリカのほぼ半分になった。これをどうするかは日本経済の最大の課題だが、バラマキ給付金で解決できるスケールの問題ではない。
G7各国の平均賃金(購買力平価)の推移(OECD調べ)FPcafeより
かつて社会党が見逃したのは、自民党の「所得倍増」路線で国民は豊かになると現状維持を望むということだった。その逆に、多くの国民が貧しくなる時代には、現状維持以外の選択肢が必要になる。野党は憲法とか安保とかいう60年安保以来の話題を卒業し、自民党以外のオプションを示すときだ。