コロナ規制で「自由」が障害となる時

欧州は目下、新型コロナウイルスのデルタ変異種による感染拡大で悲鳴を上げている。アルプスの小国オーストリアで11日、同国保健省の発表によると、過去24時間で新規感染者は1万1975人を記録した。パンデミック以来、最多だ。隣国ドイツでは同日、ドイツ国立感染症研究所「ロベルト・コッホ研究所」(RKI)によると、新規感染者は5万0196人で同じように最多を記録している。人口比からみれば、ドイツの10分の1のオーストリアの新感染者数がとびぬけて多いことが分かる。

コロナ・ワクチンの接種(バチカンニュース、2020年12月21日)

ドイツではワクチン接種の義務化、医療関係者や教師など特定の職種のワクチン接種義務の導入を求める声が高まってきている。オーストリアでは8日から通称2G態勢に入った。レストランやコンサートに入るためにはワクチン接種証明書か回復証明書の提示が必要で、PCR検査はもはや有効ではなくなった。

ドイツの代表的ウイルス学者クリスティアン・ドロステン教授(シャリテ・ベルリン医科大学ウイルス研究所所長)は冬季入りを前にコロナウイルスの拡大を恐れる1人だ。一様に、ウイルス学者や免疫学者はロックダウンの実施を求めている。ただ、欧州キリスト教会社会では1年で最大イベントのクリスマスを控え、ロックダウンは回避したいというのが政治家と国民の本音だろう。ちなみに、ドイツのワクチン接種率は11日現在、1回目69.8%、2回接種完了67.3%、オーストリアでは67.7%、64.1%だ。欧州の中では接種率が低い。

オーストリアのヴォルフガング・ミュックシュタイン保健相(医師)は州代表と緊急会合し、感染者が多い地域のロックダウンの実施など規制の強化を提案したが、州代表からは拒否反応を受け、実施できずに終わっている。

警戒しなければならない点は、コロナ規制やワクチ接種を拒否する国民はワクチン接種義務化に強く反対し、「我々の自由を奪うな」と政府を厳しく批判してきたが、ここにきてワクチン接種者の国民から接種を拒否する人々に対して批判の声が高まってきたことだ。そのトーンは攻撃的となってきた。「お前たちが、ワクチン接種を拒否するから感染がおさまらず、接種済みの我々はいつまでも感染を恐れざるを得ない。我々の我慢も限界だ」といった喧嘩腰のトーンまで聞かれ出した。

このコラム欄で1年前「ウイルスは『社会の分裂』を生み出す」(2020年10月28日参考)を書いた。欧州社会ではコロナ感染初期、新型コロナのcovid-19を「深刻な感染症」としてシリアスに受け取る派と、「毎年繰り返されるインフルエンザと同じ」として楽観視する人々で二分された。同時に、高齢者と若い世代間の世代の分裂がみられだした。感染危険の大きい高齢者と感染しても症状が出ない若い世代との分裂だ。各国政府はコロナ規制を強化する一方、高齢者の感染防止のために若い世代に連帯を求めてきた。同時期、経済格差の拡大、失業者の増加が進行してきた。そしてコロナ感染2年目の今日、ワクチン接種者と非接種者間の対立が先鋭化してきているわけだ。

ところで、独週刊誌シュピーゲル(10月23日号)でシンガポール出身者で著名な政治学者Kishore Mahbubani氏は「なぜ中国と東アジア諸国はコロナ対策で西側諸国より成功しているか」というテーマで問いかけている。ここで浮かび上がる問題は対立ではなく、相違だ。自由を至高の価値とする欧米社会と、幸せとなるためには一定の規制、統制は避けられないと考えるアジア人の人生観、世界観の相違ともいえる。

10月19日段階で人口10万人での死者数はベルギーは2218人、米国2187人、イタリア2181人、ドイツ1131人だが、日本は144人、韓国53人、シンガポール42人、中国は3人だ。死者数は欧米諸国とアジア諸国では明らかに相違がある。死者数が少ないからコロナ規制がうまくいっていると即断はできないが、死者数の比較は感染症対策では大きな指針となることは間違いない。

自由、平等、友愛を標語とするフランスのマクロン大統領は他宗派の神を「冒涜する自由」がある(ライシテ=政教分離政策)と豪語したゆえに、世界のイスラム教国から激しいブーイングを受けたが、欧米諸国は程度の差こそあれ、自由を至高の価値と考え、そのために戦う。しかし、その「自由」が新型コロナ感染対策では障害となっている面は否定できない。「自由」の旗を掲げ、コロナ規制に対しても「自由の蹂躙」と受け取るから、欧米の政治家たちはコロナ対策で苦戦する。一方、アジア諸国では自由は安全と秩序が保証されて初めて享受できると考える傾向があるから、コロナ規制も比較的スムーズにいく。

ウィーンの国連で昨年1月31日、在ウィーン国際機関中国政府代表部の王群中国大使は、「中国は国際社会の責任あるパートナーだ。武漢肺炎の対策でも責任を持って取り組んでいる」と強調し、中国が武漢肺炎対策で3点のメリットがあると強調し、①重症急性呼吸器症候群(SARS)などの過去の経験、②中国は科学大国、そして③「わが国は社会主義国だから、決定はトップダウンのため、武漢肺炎の対策では迅速に対応できる」と自信あふれる表情で語ったことを思い出す(「武漢肺炎対策で中国が誇る『強み』は」2020年2月2日参考)。共産党政権の全体主義社会ではコロナ規制反対デモはみられないし、当局が提供するワクチンを接種しているから、ワクチン接種者とそうではない国民の対立といった贅沢な社会現象は見られない。ただ、中国でもコロナウイルスの再感染が始まっているという。

「自由」を考えるとき、「自由」は人間を生かすものでなければならない。そのためには自身や家庭、社会、国家に対して「責任」が出てくる。「責任」なき「自由」はあり得ない。同時に、「自由」は本来、規則、ルールを守って初めて享受できる。最後に、「自由」には明確な目的がなければならない。やりたい放題で結果に責任を持たない自由は混乱をもたらす。すなわち、「自由」は、「責任」、「規律」、「貢献」の3点と深く繋がっている。その一点でも欠ければ、「自由」は問題解決の障害となる。2年間のコロナ感染問題での欧米社会の現状を見ていると、一層明確になる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年11月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。