かつて欧州3番目の規模だったアリタリア航空が航空市場から姿を消す

20年間赤字続きだったアリタリア航空が遂に航空市場から姿を消した。

60年代のアリタリアはヨーロッパで3番目の規模の航空会社

10月14日に最後の運航を果たした創業75年のアリタリア・イタリア航空は市場から姿を消してほぼひと月が経過する。

1960年代は年間で100万人の乗客を乗せてヨーロッパで英国航空、エールフランス航空についでヨーロッパで3番目の規模の航空会社であった。1960年に開催されたローマ・オリンピックではスポンサーになっていたこともあって、アリタリアは知名度の高い航空会社として存在していた。またヨーロッパでプロペラ機からジェット機に最初に移行したのもアリタリアであった。

ところが、最近の20年間は採算ベースに乗らない航空会社に転じていた。それで毎年、高額の資金を政府から仰いでいた。

アブダビのエティハド航空もアリタリアを見放した

経営再建策として2008年には国営企業から民営化されてイタリアの20社の企業がアリタリアに出資した。2009年1月には「アリタリア・CAI航空」としてその25%の株をエールフランス・KLM航空グループに売却したが、その後同グループはこの出資から撤退した。

一方、アリタリアはコスト削減に挑んだ。しかし、格安航空と鉄道との熾烈な争いに勝てず巨額の赤字を流出し続けていた。それに加え、労働組合によるストライキが追い打ちをかけた。

ところが、2014年半ばになって回復の兆しが芽生えた。アラブ首長国連邦のアブダビのエティハド航空が5億ユーロ(600億円)を投入してアリタリアの49%の株を取得したからである。エティハド航空はEU内における航空市場での影響力を発揮しようとしたのだ。但し、この投資には3000人の従業員の解雇ということが要求されていた。

その後、イタリアとアブダビの株主との間で発展の為のプランに合意が見られず2017年5月にエティハド航空は更なる出資を拒否した。

この間もイタリア政府からの支援金の投入は続いた。 しかし、それに止めを刺すことになったのはコロナのパンデミックによる乗客の激減と欧州中央銀行のマリオ・ドゥラギー前総裁が首相に就任したことが影響した。銀行家であるドゥラギー氏は赤字から回復することのない航空会社にこれ以上の公的資金の投入はすべきでないと判断したのである。何しろ、2008年から政府が投入した公的資金は130億から140億ユーロ(1兆5600億円から1兆6800億円)という膨大に額だからである。

従業員8000人が一日にして解雇された

そこで政府が決めたのは規模を縮小させた公営企業がアリタリアの機材と従業員を引き継ぐという形にしたのである。使用する機材は52機、44の都市を結ぶ路線とした。そして4年後の2025年には105機で74の都市を結ぶ路線にまで復活させるというプランである。

この縮小プランで特に問題となったのは従業員の大幅な削減である。1万1000人の従業員から2800人を格安の給与で再雇用するというもので、この枠に入らない従業員およそ8000人は失業者となった。(以上10月14日付「オステル・トゥル」から引用)。

そのひとりシモネタさんは「我々を救出することをしなかったイタリアの政治と経営陣の無能さのお陰で今日が最後の日となった。我々は抗議したが、聞いてもらえなかった」と語った。また25年勤務したバルバラさんは「将来が不安定であるということが最も気になることだ。今日から仕事がなくなった。定年する年齢でもない。どうしてよいのかわからない。我々は家族の父親と母親であり、将来への恐れを抱えている」と述べた。(10月14日付「インフォバエ」から引用)。

歴代のローマ法王が外国への布教活動にこれまで169回搭乗した航空会社であったが、経営体質は旧態依然のままで激しい価格競争の中で採算がとれるための乗客を確保して行くことは至難のわざであった。(同上紙「インフォバエ」から引用)。