COP26の議論への疑問

英国のグラスゴーで開催されていた気候変動に関する世界的会議、COP26は会期を一日延長をして合意の詰めを行ったものの英国のビジネス大臣であるシャーマCOP26議長が無念の涙を流し、「石炭の段階的廃止」の文言を採択できず、「段階的削減」にとどまりました。欧州勢にとっては落胆の政治ショーでありました。

涙ぐむアロク・シャーマC0P26議長
BBC NEWSより

この会期中、我々に届いた多くのニュースはカーボンニュートラルをめざし、化石燃料の使用停止を2050年前後に達成するという各国のコミットメントの出し合いと化しました。正直、私は今回のCOPには失望をしているのです。それは冒頭のようにCOPが政治化し、本質的な意味をミスリードしたと思っています。

COPの会議の内容は「①途上国への資金支援 ②エネルギーの脱炭素化 ③若者や市民の活動 ④森林の保全や拡大といった自然 ⑤気候変動への適応 ⑥ジェンダー ⑦イノベーション ⑧交通 ⑨都市の環境」(日経より)となっています。が、我々が目にするニュースのほとんどが②のエネルギーの脱炭素化であり、各国の首脳が先を競い合うように「我が国はこれだけの努力をする」と声明を出し、努力が足りないとされる日本などには化石賞が毎度与えられるという流れです。

しかし、上記会議の中身の通り、少なくとも9つものテーマの組み合わせの中で温暖化対策への議論が行われた中で数値や政治の駆け引きがしやすく、かつ、産業革命的な前向きの姿勢を引き出しやすいエネルギーの脱炭素化に絞り込んだアンバランス感はお茶の間のショーと化していなかったでしょうか?

私は不動産開発業を営んでいます。当然、普段からその目線で都市開発を見続けています。例えばここバンクーバーは人口増加で都市の拡大が止まらず、近隣の住宅地と自然豊かな山林の境目がどんどん開発され、住宅に代わっていくという事実を目のあたりにしています。出来上がった新興住宅地にはそれまでの森林と打って変わり、同じような住宅がずらりと並ぶ住宅地や山の高台に無理やり造成を行い、巨大な邸宅を作る行為を当たり前のように行っています。私はおかしいじゃないか、という声が当局の都市計画課や議員から一つも出てこないことに疑問を感じているのです。

バンクーバーの歩道は車道との間に木が植栽され、芝生が植わっています。しかし、その芝をメンテするのは容易ではなくほとんど誰も手をかけないため、最近は人工芝や芝の敷地をブロックでふさぐなど緑を消すことを平気で行っています。これは正しい施策なのでしょうか?

私はヒートアイランドに対する意味合いはあると思っています。気象庁はそれは一部の話で地球全体の温暖化の話とは別、というスタンスです。しかし、人口増に伴う住宅開発は世界中で無遠慮に激しく突き進んでいます。温暖化の原因など正直、1つや2つのエレメントではなくたぶん10以上の原因の組み合わせであるのにその中のごく一部だけを取り上げ、強制的にそれを変えるというのはある意味、マネーを牛耳る欧米発の仕組まれた罠に近いものではないかと思うのです。

例えば中国では化石燃料を減らしていると豪語し、風力発電や太陽光発電がすさまじい勢いで増えていますが、それらの施設を作るのに森林を破壊しています。森林破壊により本来吸収すべきCO2をどこで吸い取るのでしょうか?つまり、「入りと出」という発想からは素人である我々には非常に不可解であるわけです。

フランスのマクロン大統領はしばし休止していた原子力発電の再開を国民向けテレビ放送を通じて発表しました。原子力大国のフランスがそこに踏み込んだのは2050年に向けたコミットメントに対して原子力発電しか選択肢がないという結論だとも言えます。これはある部分を満足するためにほかを犠牲にするという部分解であって最適解かどうか、あるいは全体解かどうかの議論はなされていません。

ところで森林を大事にするという発想についても若い木々はCO2の吸収率が高いのですが、生育し成熟期に入った大木のCO2吸収はかなり落ちる点はほとんど知られていません。科学的には樹齢20年と60年ではCO2の吸収率は3:1ぐらいなのです。ということは原生林を伐採し植林をすることによるCO2の最適バランスという発想もあるでしょう。

そして人間ではどうにもならない温暖化原因の一つに火山の噴火があります。これによる温暖化への影響についても一般人にわかりやすい形で説明されたものはほとんどありません。太陽黒点の地球温暖化への影響は私が高校生の時から知っていましたが、それがまともにテーブルに上がることはありません。(現在は活動が小さい時期なのでそもそも太陽黒点と温暖化を結びつけることに興味ある人は少ないでしょう。)

私は政治化したCOP26よりもっとバランスの取れた温暖化と環境を学ぶセッション、そしてそこから誰にでもできる対策を考える工夫を施すべきだと思います。工場から排出される煙の写真や交通渋滞の写真、あるいは石油の採掘現場のシーンをみて石化エネルギー悪玉論を煽ることはまるでいじめの世界と同じぐらいにしか思えないのです。

環境問題に乗じたマネーゲームを演じる一部の世界と一定の距離感を持ちながら、真の意味での環境議論をすべきだと思いますが、それはもう、我々にはできないのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年11月15日の記事より転載させていただきました。