国会議員の「男女の割合は問題ではない」のか

総選挙後の11月5日から3日間にわたってNHKが実施した内閣支持率に関する世論調査の中に、今回の選挙で女性当選者の比率が9.7%にすぎなかったことをどのように思うのかを尋ねる質問があった。回答者のうち、「低すぎる」と答えた人は42%、「ちょうどよい」4%、「高すぎる」3%、「わからない・無回答」5%、そして「男女の割合は問題ではない」が46%であった(NHK NEWS WEB、2021年11月8日)。

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10%にも届かない女性議員比率を低いとは思っていない回答者が半数以上いたことに正直ショックを受けた。前回の投稿でも述べたように、私は女性議員が一向に増えない要因はもっぱら政党にあると考えてきたが、どうやら考え違いをしていたようだ。政党の消極さの要因は、実は有権者のこのような意識を見越し、女性の積極的な擁立は票の獲得に大してプラスにならないと高を括っていることにあったのかもしれない。つまり、並いる男性を押し退けてまで女性を擁立するメリットがないと判断したのである。仮に6割以上の有権者が低すぎると考えているとしたら、女性の擁立に本気になれない自民党も真剣に取り組まざるを得ないだろう。

ところで、上記の選択肢のうち、気になったのが「男女の割合は問題ではない」という回答である。この考え方には、議員に性別は関係ない、男性であれ、女性であれ、その使命は国のため、国民のために尽くことであり、議員活動はジェンダー中立的な行為だという含意がある。偏りのない、平等さをイメージさせる中立は、言わばマジックワード、大抵の人を納得させる言葉だ。

しかし、ジェンダー平等における「中立」は曲者、要注意の用語である。それは、男性優位社会においては中立の前提がすでに男性のベクトルに大きく偏っているからである。男性の考え方、価値観、慣習で覆い尽くされた状況下の「中立」とは、男性にとっての「中立」にすぎず、本来の意味からかけ離れたものだ。「男女の割合は問題ではない」と回答した46%の人の男女比はわからなかったが、その中にはおそらく女性も混じっていただろう。すると、女性だって女性議員を取り立てて増やす必要はないと考えているではないかという意見が必ず出る。

だが、男性社会で生きる女性は男性の考え方をその社会の「普遍的な」観念と受けとめるため、男性的見解を無意識に内面化しがちだ。男性優位の呪縛から解放されれば、「普遍」の歪みに気づくはずだ。

なぜ女性議員を増やす必要があるのか。民主主義や社会正義といった理念論はさておき、社会の成熟のために女性議員比率の大胆な向上が求められる。

まず女性活躍を促す政策づくりに女性議員は不可欠だ。女性のことは女性にしか分からないなどと馬鹿げたことを言うつもりはない。むしろ重要なのは、有権者の声を受け止める際の議員の性別である。有権者が議員に訴えたい政策課題の多くはジェンダーとは無関係、男女を問わずどの議員にも期待できる。それでも、同じ性別の方が話しかけやすく、通じやすく、共感度が高いのも事実だ。とりわけ女性の性や生殖に関する問題は、男性議員には訴え難い。たとえば、「生理の貧困」問題は、国民民主党の伊藤孝恵議員が同氏に寄せられた女性たちの声を拾い上げ、党内や文教委員会で提起したことに始まる。母性保護の観点から決して軽視できないが、男性議員には言い出し辛いセンシティブな問題である。

女性政策は男性の福祉にも貢献する。若い母親たちの要望を受けとめた超党派の女性議員たちの尽力により商品化が実現した乳児用の「液体ミルク」は、育児に不慣れな父親にも恩恵を与え、ひいては男性の育児参加の推進にも役立つはずだ。女性の利便性の向上は、実は男性などにも便利であることが少なくない。女性が生きやすい社会は男性にも生きやすい社会である。

次に、女性議員の増加が議会や政治の視野を広げる点である。人間のものの見方や考え方の違いは性差よりも個人差の方が大きいが、それでも身体の構造や機能、そして性差に基づく生育環境の違いなどによって男性と女性の視点はやはり異なる。国会がいま一つ活気と魅力に欠けるのは、男性的な思考一辺倒の限界、男社会の行き詰まりではないだろうか。

若手や多様なバックグラウンドを持った男性議員も永田町に変化をもたらし得るが、女性はそれ以上に新鮮な発想、思い切った提案ができるはずだ。男女の割合は問題ではないどころか、非常に問題なのである。