可能性に訴える論証

藤原かずえ講座

可能性に訴える論証

Appeal to probability / Appeal to possibility

ある言説の出来事が起こる可能性が存在することをその言説の出来事が起こる可能性が高いことと混同する

<説明>

「可能性に訴える論証」とは「ある言説の出来事(事象)が起こる可能性が存在する」を「ある言説の出来事(事象)が起こる可能性が高い」と混同して結論を導くものです。当然のことながら「可能性の有無」と「可能性の程度」とは異なる概念ですが、詭弁を使うマニピュレーターは、この混同につけこんで、前提を意図的に解釈することで自分にとって好都合な結論を導きます。

誤謬の形式

言説Sが起こる可能性がある。
つまり、言説Sはいつ起こってもおかしくない。
したがって、言説Sはいつでも起こる。

<例>

<例1>

地球上どこでも雨が降る可能性はある。
雨には有害な放射線が含まれている可能性がある。
つまり、いつ放射線を浴びてもおかしくない。
したがって、外を歩くときは常に傘を持ち歩くのがいい。

<例2>

歩道を歩いていても車に轢かれる可能性はある。
つまり、いつ車に轢かれてもおかしくない。
したがって歩道を歩くのはやめた方がいい。

<例3>

外を歩くと隕石にぶつかって死ぬ可能性がある。
つまり、いつ死んでもおかしくない。
したがって外を歩くのはやめた方がいい。

<例4>

人間は歩けば棒に当たって死ぬ可能性がある。
つまり、いつ死んでもおかしくない。
したがって室内でも歩かない方がいい。

<例5>

人間は立てば転んで死ぬ可能性がある。
つまり、いつ死んでもおかしくない。
したがってけっして立たない方がいい。

人間は常に【リスク risk】を許容しながら生きています。リスクとは、【ハザード=危機的要因 hazard】に起因して特定の【生起確率 probability】【ぺリル=危機的事象 peril】が生起することで発生する【損害 damage】【期待値 expectation】のことであり、次式で定義されます。

リスク=ぺリルの生起確率×ぺリルによる損害

上記の例では実際には限りなく0に近いぺリルの生起確率を誤って過大評価することでリスクを過大評価し、蓋然性の低い結論を得ています。詳しく書けば、「可能性がある=任意の時刻に起きてもおかしくない=いつ起きてもおかしくない」を「いつでも起きておかしくない=可能性が高い」と混同しているのです。

上記の例は極端に見えますが、同様の事例は現実社会に溢れています。実際、世界的に有名なこのジョーク集も「可能性に訴える論証」をベースにしています。

<例6>マーフィーの法則

If it can happen, it will happen.
(もしそれが起こる可能性があるなら、そのうちきっと起こるよ)

なお、世の中の事象は「起こる」か「起こらない」かのどちらか(二律背反)であるため、「起こらないことを否定できない」という場合は「起こる可能性がある」と判断され、これを「可能性に訴える論証」で誤解釈すると「起こる可能性は高い」になります。ここに大きなレトリックがあるのです。

<事例1>安保法制

<事例1a>TBSテレビ『NEWS23』 2015/03/18

岸井成格氏:この安全政策(安保法制)の本当の問題というのは、自衛隊がいつでもどこでも海外で、場合によっては戦闘地域で武力行使ができる。そういう可能性も否定していないということなんですよ。

<事例1b>TBSテレビ『NEWS23』 2015/09/17

岸井成格氏:国防総省の特に日米関係をやってきた人達は、本当に今度の法案(安保法案を大喜びしているんですよ。つまり、何かというと、米軍にいつでもどこでも自衛隊が協力してくれるということです。こんなに米国にとって嬉しいことはない。

安保法制においては、法律で定められた武力攻撃事態等または存立危機事態に至ったときにのみ武力行使が可能であり、いつでもどこでも武力行使が可能なわけではありません。岸井氏の説明は典型的な「可能性に訴える論証」によるミスリードです。

<事例2>護衛艦「いずも」

<事例2>朝日新聞 2017/12/28

憲法に基づく専守防衛の原則を逸脱することになる。容認できない。防衛省が海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」を空母に改修し、垂直着陸ができる最新鋭戦闘機F35Bを搭載する検討に入った。F35Bが発着できるよう改修すれば、安全保障関連法のもと、有事も含め世界のどこででも米軍の同型機への給油が可能になる。

敵基地攻撃能力を持つ防衛装備品を持つことと、専守防衛の原則を逸脱する軍事攻撃を行うこととはまったく異なることです。日本中のほとんどの家庭には殺傷能力をもつ包丁がありますが、それによって相手を殺傷することはありません。

<事例3>コロナ緊急事態宣言

<事例3a>テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』 2020/03/26

岡田晴恵氏:私もリスク管理で最悪を考えて首都封鎖ができないものかと思っている。
田坂広志氏:リスクマネジメントというのは最悪の状態を見つめることから始まる。専門家会議は、国民の安全と健康を守る観点から最悪の事態を想定しても大丈夫という厳しい判断をして、何かの支持を与える権限を与えるべきだ。リスクを下げるのは安全の観点では絶対必要。もう一つ大切なのは安心できるかということだ。

ワイドショーのコメンテーターが力説する「リスク管理とは、まずは最悪の事態を回避すること」というのはもっともらしい俗説であり、これを主張する人は明らかにリスク管理のド素人です。リスク管理の実務を経験すればすぐにわかることですが、最初に示した<例>でも明らかなように、リスク・シナリオは無数に存在し、厳密な意味での最悪の事態など特定できません。しかも、想定した中での最悪の事象を【セキュリティ security】対策(危険な事象が発生しないよう抑止・抑制する対策)による完全抑止は殆どの場合不可能であり、自称の発生を許容した上での【セーフティ safety】対策(危険な事象が発生したときにその被害を最小に抑制する対策)に頼ることになります。

新型コロナ事案においても、リスク管理のド素人の方々が揃いも揃ってこのマジック・ワードを叫びました。真のリスク管理とは、様々なリスクシナリオを想定して最も合理的な対応策のポートフォリオを選択することであり、思考停止して最悪の事態(想定できるリスク・シナリオのうち最悪なもの=可能性があるもの)を高確度で実現すると考えて回避することはゼロリスクの追及に他なりません。また「安心が大切」なる言葉も際限なくゼロリスクを追及する理不尽な口実になります。その典型的な例が、マスメディアが唱えた「想定外は許されない」なる非論理的な言説を根拠に日本の全原発を超法規的に停止した民主党政権です。ちなみに田坂氏は当時の民主党政権で内閣官房参与を務め、リスク管理を担当していました。不幸なことにこの原発停止により日本社会は現在も莫大な経済的損失を被り続けています。

<事例3b>テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』 2020/04/08

玉川徹氏:国としては今回の宣言で外出自粛が自主的に進むという認識をしている。効果が出る二週間後に向けた対策を考えるべきと。2週間様子を見るということに僕は物凄く違和感がある。よくコロナとの戦いは戦争に例えられるが、戦力の逐次投入というのが大失敗の素だ。旧日本軍がそれをやったがために負けたようなものだ。そういうことをまたやろうとしているのか、国は。やり過ぎて悪いことはない。投入できるものは一気に投入する。ここで言えば「閉めて下さい」という要請は一気にお願いする。社会インフラを支える仕事以外は「全員が仕事を休んで家にいて下さい」と。「家で仕事する分にはいいですよ」と。基本は「家にいろ!」だ。それくらいのことをやらないと。仮にそれをやってやり過ぎだったらやりすぎでいいじゃないか。2週間様子を見るということが何を言っているんだと。僕は怒りを感じる。まさにガダルカナルの失敗そのものだ。データは後で見ればいい。まずは全部閉めると。イタリアにしたってフランスにしたって経済の息の根を止めている。だけどそれよりも命が大事だということで強権発動してやってるわけだ。

<事例3c>毎日新聞『余録』 2021/01/08

コロナ対策で「兵力の逐次投入」との批判をよく耳にする。旧日本軍はガダルカナル戦などで、強力な米軍に対し兵力を小出しにして次々に撃破された。中途半端な策を小出しにするのは兵法では禁物とされる。(中略)旧軍が兵力の逐次使用に陥ったのは、正確な情報収集を怠って敵の戦力をあなどり、根拠のない楽観にもとづく作戦を立てたからだ。自分らの都合の良いように現実を考える楽観は結局、厳しい現実によって順次打ち砕かれた。東京で2400人超の新規感染者が報告される中、後手後手、小出しの対策を批判されてきた政府がようやく緊急事態宣言を出した。ただ、対象は1都3県、施策は飲食店の時短が主軸と聞けば、またも「逐次投入」の言葉が浮かぶ。すでに専門家からは、飲食店の時短中心の策では2カ月後も今と同水準の感染状況が続くとの試算も出ている。飲食店時短で感染拡大を抑えたかに見えた大阪でも再拡大の兆しがある。人の移動、接触をより減らす策は必要ないのか。爆発的な感染急拡大のニュースを聞き、政府のいう「限定的、集中的」施策の効果に疑問を抱く方も多かろう。中途半端な策でもしも緊急事態が長引けば、国民の“士気”の挫折を恐れなければなるまい。

戦力の集中投下は、根絶可能あるいは再起困難なダメージを与えることが可能な相手には有効なこともある戦術ですが、新型コロナ・ウィルスのような根絶させることもダメージを与えることも困難な相手に対しては経済を破壊する最低の愚策です。しかしながら、リスク管理のいろはも理解してもいない思考停止の自称識者の皆さんは、ウイルスの根絶は可能であるという考えの下、次々とガダルカナル島の事例を振りかざしては、無謀ともいえる戦力の集中投下を主張したのです。

その戦力の集中投下は見る影もなく大失敗しました。1回目の緊急事態宣言で日本国民は自己犠牲の精神を発揮して第1波がほぼ完全に収束するまで厳格に自粛に協力しましたが、緊急事態宣言の終了と同時に新たな変異株が発生して第2波に突入、第2波が終われば日本変異株による第3波、第3波が終わればアルファ株による第4波、第4波が終わればデルタ株による第5波と、自粛をあざ笑うように新たな変異株が次々登場しては新たな波が発生したのです。このような事態になることはヨーロッパ株が出現した2020年3月の時点で既に自明でしたが、リスク管理の権化のように振舞っていた素人識者の皆さんには焼け石に水でした。

新型コロナについては、情報化戦略に基づく戦力の逐次投入による医療崩壊の回避、すなわちハンマー&ダンスこそが合理的なリスク対応に他なりません。

<事例4>コロナ変異株

<事例4>テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』 2020/12/25

羽鳥慎一氏:イギリスで確認されている変異種が日本でも8人感染が判明しました。この8人のうち5人はイギリスからの帰国者で空港で感染が判明しました。

玉川徹氏:今回わかったのは症状が出て検査したからわかったんですね。もし症状が出てなかったら検査もしていないのでこのままになっているんですよ。無症状のままで感染が拡がった可能性もあったわけです。僕は既に相当入っている可能性があると思っていて…

羽鳥慎一氏:ありえますね。

玉川徹氏:イギリスで変異ウイルスの最初の検出は9月ですよね。その頃は変異ウイルスがあるで終わっていた話だと思うのですが、11月に入って物凄く増えてきたので、このウイルスは危ないのではないかという話になったということです。最初に入ってから2か月くらいで相当の広がりを見せたことになるんですけれども、そうすると今まで相当数入ってきていると、だって1日に150人イギリスから12月も入ってきていますからね。その中から無症状の人は全然検査をしないままでそのまま日本にいらっしゃっていると思うので、そうすると相当入っていると考えないと。危機管理全てそうなんですけど、また煽っているとか言われるかもしれないけれど、危機管理の基本というのは、最悪の仮説を立てて仮説に対して対策を打って、もしも空振りがあっても、それはコストとして考えない。こういう状況になればまさに最悪の状況、つまり相当日本に入ってきていると思って対処しなければいけないと思うんですよ。

イギリスで確認されたアルファ株が日本国内で確認されたということは、日本国内で感染が進行している可能性があります。玉川氏はこの「可能性がある」ことを「既に相当入っている」として対処しなければいけないと主張しました。これは典型的な「可能性に訴える論証」です。ちなみに、国立感染研のゲノム解析結果によれば、この時「既に相当入っている」という状況は認められず、玉川氏の行動は危機管理の俗説を流した上で無責任に不安を煽って社会を混乱させるものであったと言えます。

情報操作と詭弁論点の誤謬論点混同可能性に訴える論証

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