名著を検証する:「失敗の本質」を精読④ パラドックスの発生と訓えの実践

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『失敗の本質』精読検証の第4回です。ここで一旦、なぜ同書を検証するのか、そのためになぜこのような各論を積み上げているのか、これらの理由を説明させて頂きます。

(前回:「失敗の本質」を精読③

検証理由はパラドックスの発生

『失敗の本質』はその「はしがき」において、「戦史上の遺産を(中略)国民全体の共有財産にしようと考え」「失敗の実態を明らかにしてその教訓を十分かつ的確に学び取ることこそ平和と繁栄を享受するわれわれに課された責務の一つ」と宣明しています。90万部超という発行部数や今も広く読まれているという事実から、その企図は確かに達成されたと言えるでしょう。

ところで、時代の推移に伴い史実の研究が進み、また思考の枠組みも進化しました。そのため、『失敗の本質』にも一部分ですが事実誤認や論証展開に誤謬が含まれていることがわかりました。ここに皮肉なパラドックスが出現することとなりました。

『同書が支持されればされるほど、同書が意図する「教訓の国民財産化」が遠のく』

というパラドックスです。

同書が提示する本質や教訓の一部を要約するならば、「陳腐化したパラダイムや謬見の無批判な継承こそが失敗の本質の一つであり、日本軍は自己革新組織ではなかったのでそれを基因とした失敗を重ねた」という趣旨であろうと考えます。その同書自身が、今や更新すべき点を抱える状況になったにもかかわらず、「無批判に継承されている」という逆説的状況です。少し詳しく説明します。

謬見の無批判な継承

同書の教訓の一つを(意味の改変に注意しながら)言い換えるならば「日本軍の遺した教訓を生かすには、『自己革新組織』となることが必要である。そのためには、①学習する主体として自己革新的なダブルループ学習が不可欠であること、②古くなったパラダイムは自ら学習棄却すること」と言えるだろうと考えます。ところが、今では同書にある種の権威さえも感じ取り、「名著」として未検証のまま誤謬まで鵜呑みにする傾向が見られます。

例えば「中央エリート参謀と現場」について、同書には次のような記述があります。

大本営のエリートも現場に出る努力をしなかった。(P91)

中央の参謀と現地軍の参謀とが、作戦の確認や調整のために、頻繁に打ち合わせを行った(P229)

作戦をたてるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており、(P230)

「大本営のエリート」と「中央の参謀」と「作戦をたてるエリート参謀」は文脈上ほぼ同一と考えられるのですが、記述内容は真逆に分かれております。いったいどちらが事実に近いのでしょうか。

詳細は別稿で説明しますが、事実としては、大本営のエリートの中心的な人物達である作戦課長服部卓四郎大佐や辻政信中佐は、ガダルカナル島戦時にはガダルカナル島に足を運び、作戦指導を行っておりました。つまり「大本営のエリートも現場に出る努力をしなかった」(1章)および「作戦をたてるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており」(2章)という断定は、分析対象作戦の事実から大きく乖離した認識です。そのため、六つの作戦事例から抽出したとする「失敗の本質」の根拠としては妥当ではありません。

この状況では、仮に3章の教訓が結論命題としては真でも、それを導出する論証のプロセスに偽が混入しており、論証の信憑性は低下してしまいます。少し厳しい見方をすれば、(意図的かどうかは不明ですが)「読者が読みたい主張を『社会科学的分析の結果』として提示しているが実際にその分析は適示した事例に立脚していなかった」という状態です。(ただし結論命題の真偽自体は判定していない。)

従って少なくともこのテーマに関しては、「失敗の実態を明らかにしてその教訓を十分かつ的確に学び取る」という目的の達成に「十分かつ的確に」という点では失敗しております。

この状況は、上述したような同書の教訓①②のような「自己革新的な学習棄却」に背いているのではないか、と考えました。

同書が優れた論考であることは発表当時も今も不変ですが、よく吟味すれば誤りと分かる部分についてまでもほとんど指摘されることなく、都知事に推奨されたり、マスメディアで言及されたりしております。このような多くの人に無批判に継承されている状況から、実は同書の教訓がよく伝わっていないのではないかと考えました。

「知識の淘汰と蓄積」という訓えの実践

種々の教訓の中に「謬見に基づく誤った教訓」が一部存在することを知ったならば、それを指摘することが同書の訓えの実践であると考えます。それは、やや大げさな言い方になりますが将来世代に対する責務なのではないかとも考えております。

しかし「これは誤謬ではないか」という指摘の論拠を、戦史にあまり興味のない社会一般に対しても自明なレベルまで因子分解すると膨大な量になります。そのため現在、ブレークダウンした各論を言論プラットホーム『アゴラ』に掲載して頂いております。

なお、私自身が誤読している可能性もありますが、一連の論考の目的は「自説の正しさを証明したい」ということではなく、「事実を明らかにしたい、あるいはより事実に近づきたい」ということですので、間違いに対してご指摘いただけるならば心より感謝いたします。

むすび

私は、大東亜戦争敗戦の有力な背景の一つに「認知の歪みと錯誤がある」という仮説を抱いており、本検証を通じてその仮説の根拠を示して行きたいと考えております。

明治維新前から日露戦争にかけての日本は、三国干渉における「臥薪嘗胆」の選択のように、自己の力量と列強の力を誤りなく比較し、外交に関して冷静で現実的な判断を下していたように感じます。その一方、日露戦争後の日本は徐々に「認知の歪み」が大きくなり、後世から見ると大変理解が困難な「謎」の国政判断が増加した印象があります。例えば「冷静な識見」を「弱気・怯懦」と断定し排除するような軍人・政治家・マスメディアとそれを支持する国民世論などに「認知の歪み」を強く感じます。

現代日本においても一部の世論として、ときに特定の国との断交を主張したり首脳同士の往来自体を非難したりするような「強気」の主張を散見致します。自戒を込めて、日本は未だに大きな「認知の歪み」を抱えている気がしてなりません。

<主な参考文献>
『失敗の本質』(ダイヤモンド社単行本およびKindle版)
『ガダルカナル』(辻政信著 毎日ワンズ)

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