名著を検証する:「失敗の本質」を精読①

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失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)は、枕詞として「名著」を付されることが定番の有名な書籍です。「まるで自分が所属する組織の欠点を指摘されている」かのように感じた読者も多いのではないでしょうか。

[戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎]の失敗の本質

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同書は今から1年前の時点で既に“トータル90万部を超えるロングセラー(2020年11月6日毎日新聞)”といわれておりますので、ミリオンセラーになるのも時間の問題でしょう。

特集ワイド:この国はどこへ コロナの時代に 立教大特任教授・金子勝さん 日本の経済追い込んだアベノミクス | 毎日新聞
「失敗の本質」戦前に重なる  新型コロナウイルスの感染拡大による経済の落ち込みは、年末にかけて雇用や企業業績の悪化という形で次々に表面化しそうだ。安倍晋三前首相の経済政策「アベノミクス」を一貫して批判し続けた立教大経済学研究科の金子勝特任教授(68)を訪ねると、あの名著を引き合いにこう切り出した。「

一般的傾向として、社会に危機感が醸成されると同書の「社会科学的分析」が注目されるようです。最近も感染症の流行に伴う危機感を背景として、その教訓を引用して日本政府等の「失敗」を検証・指摘している論考や記事を多数見かけるようになりました。例えば産経新聞では、乾正人論説委員長が次のように言及しております。

現在の日本の置かれた状況が、80年前の日米開戦前夜ともつながっている、と感じているのは、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)の著者の一人、杉之尾宜生氏である。「失敗の本質」は、ノモンハン事件やレイテ作戦など6つの事例研究をもとに日本型組織の問題点を摘出した「失敗学」のバイブル的存在で、今なお版を重ねている。

「日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであった」という同書の指摘は、「日本軍」を「日本政府」や「東京都」に、「戦争」を「コロナ禍」に置き換えると、そのまま当てはまる(皮肉なことに文庫本の帯には「各界のリーダーが絶賛!」として小池百合子都知事の名前が、真っ先に書かれている)。

(『終戦の日に 再びの敗戦を絶対に回避せよ 乾正人論説委員長』産経ニュース2021年8月15日より引用)

【主張】終戦の日に 再びの敗戦を絶対に回避せよ 乾正人論説委員長
■「失敗の本質」から学ぶとき

この記事でも、“日本型組織の問題点を摘出した「失敗学」のバイブル的存在”と表現されております。

検証する理由

しかし、最初の出版から既に37年ほど経ち、その間に重要機密文書の公開や戦闘戦史の研究が進みました。同書が立脚する史実も更新され、科学的思考方法の発展と相まって、同書にも陳腐化している部分がふえました。いわゆる「時の試練」に晒された結果、その分析や教訓は、的を射ている部分と射ていない部分が明瞭になってきました。

一般論として、誤った教訓から演繹(つまり誤導出)される改善策は、効果がないばかりか害悪を及ぼすことがあります。例えば、元寇撃退における「神威と祈祷」の効果を強調した『八幡愚童訓』は、史料としては貴重ですがその後の文化的な「神がかり」の礎となった可能性があります。

ところで大東亜戦争も対米開戦からは80年となり、史実を概要だけでも記憶している国民は最早少数派でしょう。歴史を扱う雑誌なども、気を付けないと不正確な史実(例えばミッドウェイ海戦「運命の5分説」)を再固定している記事もまぎれており、事実は埋没して行く一方です。書評を参照すると、読者の中には同書を「史実も学べる貴重な書」として権威さえ感じている方もいるようです。

「名著」として、ある意味『不朽の聖典化している』この状態自体「今ここにある危機」です。このままでは将来に禍根を先送りすることになると考えました(理由は別稿で詳述)。

普段私は、日常的に繰り返されるマスメディアのフェイクニュースを検証しておりますが、今回はこの『失敗の本質』を精読し、内容を検証して行きたいと思います。この検証は対象テーマが壮大なので、一回の論考では収まりません。そこで、不定期ですが連続投稿させていただき、シリーズで一冊の検証を完了して行くことを考えております。

同書の概要

最初はダイヤモンド社から1984年に刊行された同書は、91年に中公文庫に収録されました。その中央公論新社では、同書を次のように説明しております。

大東亜戦争での諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織一般にとっての教訓とした戦史の初めての社会科学的分析。(中央公論新社ウェブサイトより)

防衛大学校教授を中心とした六名の研究者による「戦史の社会科学的分析」が支持された同書ですが、あくまでも「組織論」の視点から論じやすい素材(作戦史)のみを取り上げて微視的に分析しているだけであり、大東亜戦争全体を包括的に分析しているわけではありませんでした。

誤謬一例

次に、同書の分析にどのような誤謬があるかについて、具体的事例を示して行きます。どのような検証をするのかのイメージとして今回は一例にとどめますが、今後しばらく具体例を続ける予定です。

(ただし、あくまでも「この部分は誤謬ではないか」という指摘に過ぎず、「同書が主張する全ての命題は偽である」という全否定ではないことに留意してください。)

【疑義のある記述: 1章 失敗の事例研究―――ガダルカナル作戦】
ガダルカナル島争奪戦の初期に発生した、「第一次ソロモン海戦」について同書は次のように記述して読者に概要を説明します。

“クラッチレー英海軍少将指揮下の米豪混成の巡洋艦部隊が作戦海域にとどまったが、八月九日三川軍一海軍中将の第八艦隊(重巡五、軽巡二、駆逐艦一)と交戦し、五重巡のうち四撃沈、重巡一駆逐艦一損傷という大敗を喫した。(改行)このときルンガ沖の米輸送船団は、まったくの無防備となった。もし三川艦隊が攻撃を続行し輸送船団を撃破していたならば、ガダルカナル戦の形勢は変わっていた。しかしながら、三川中将は攻撃を打ち切った。米軍の反撃と魚雷等の減少を考慮したためといわれていたが、艦隊決戦思想がこのような行動をとらしめた要因の一つでもあったろう(同書P72・73より引用、太字は引用者)

ここでは太字部分に注目してください。戦史に詳しい方にとっては簡単すぎる誤謬ですがお気づきでしょうか。

【検証結論】
“艦隊決戦思想がこのような行動をとらしめた要因の一つでもあったろう。”という原因帰属は、二元論的完全否定もできないが、少なくとも直接の主要な要因とは認められない。直接の原因は「艦隊保全」思考である。

【検証根拠】

  1. 三川軍一中将(第八艦隊司令長官)自身は戦後、次のように説明している。

“だが、当時のわれわれが、どんなに軍艦の保全に気を使っていたか。あのころからもう一隻でも失ってはいけないという条件が課されていた。(『重巡洋艦戦記』P81「第一次ソロモン海戦の思い出」、太字は引用者)”

  1. 『戦史叢書』には次のように明記されている。

“三川外南洋部隊指揮官は、第八艦隊司令長官として出発の際、軍令部総長から「無理な注文かも知れないが、日本は工業力が少ないから艦を毀さないようにして貰いたい」と注意を受けた、と戦後回想しているが、あるいは、このことも戦闘指揮に影響を及ぼしているのではないかと推定される。(『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1>』P492、太字は引用者)”

 【考察】
このころ(1942年)の日本海軍では、圧倒的に隔絶した工業力と予算のために、翌年中頃には太平洋水域の海上および航空兵力で米軍に逆転されることがわかっていました。そして、保有艦艇の減少はその逆転時期の前倒しに直結します。第一次ソロモン海戦は、珊瑚海海戦(5月)とミッドウェイ海戦(6月)で機動部隊戦力の著しい損耗を受けた直後の8月に生起しました。その状況を考慮すれば、艦隊決戦という戦略(または作戦手法)以前に「これ以上の艦艇の喪失には耐えられない」という、もっと根本的な「日本が勝つための必要条件」からの要請と考えます。また、第一次ソロモン海戦に出撃した第八艦隊は、巡洋艦7駆逐艦1(合計8隻)で構成されており、「艦隊決戦思想」では「主戦力」と位置付けられている戦艦が含まれておりません。(その後、現実に起きた戦闘では、空母や巡洋艦・駆逐艦の方が重用された。)

永野修身軍令部総長の心の裡に「艦隊決戦思想」が残っていた可能性は十分考えられますが、戦闘を指揮した第八艦隊司令長官自身は「艦艇の損耗回避を前提とした敵船団の撃滅」を目的としており、「艦隊決戦のための温存」という日本全体の戦略まで考慮されていたと考えるのは、根拠の薄い飛躍と考えます。また、これ以後の戦力再建は主に空母等航空兵力を重視していることから、日本海軍という組織総体でも徐々に航空主兵に思考の重心を移していったと考えることが妥当です。「艦隊決戦思想が原因の一つだ」と推定することを否定はしませんが、枝葉部分の指摘であり「核心を外している」と言えるでしょう。(これは再現実験のできない社会科学の限界を示唆しております。)

結果を知っている(≒神の視座)私たちからすれば、「留まって輸送船団を撃破すればよかった」と残念に感じます。しかし敵航空兵力の存在など諸条件から判断すれば、夜明け前に敵空襲圏外に避退するという判断は合理的と言えます。この時期はまだ、戦略合理性の高い戦闘指揮(思考と決断)が執られておりました。

この1章「失敗の事例研究」に登場している「艦隊決戦思想」は、続く2章「失敗の本質」で再三言及され、3章「失敗の教訓」においても重要な要素として取り扱われることになります。しかし、立脚する事例の中で「的を外した分析」がなされ、それが各種の「失敗の本質の傍証」であるかのように強調され、更には教訓として「学習棄却できない組織を象徴する概念」にまで昇華して行く様は、『過剰な一般化』がなされる過程の典型例でしょう。

ガダルカナル島の戦い Wikipediaより

むすび

検証を進める大前提として、私は『失敗の本質』を評価していることを表明します。本検証において同書に対する「非難」の要素は0%です。部外者ですが「時代の推移に合わせた更新」を目的として批評させて頂きます。

私自身が勉強の道半ばでありかつ専門の研究者ではありません。従って、最善の努力を尽くしますが、それでも「誤りも犯す」と考えることが合理的です。また本検証では、激戦に参加した日米の将兵個々人を称賛したり非難したりすることもありませんし、イデオロギーの影響が強い歴史観からは距離を置きます。

今回は概要も含めた説明なのであまり深堀しておりませんが、次回以降まずは個別具体的な事例の列挙を続けます。最終的にはそれらに基づいて、『失敗の本質』という書籍が提示している論考全体を考察して行きたいと考えております。

<主な参考文献>
『失敗の本質』(ダイヤモンド社単行本およびKindle版)
『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1>』(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社)
『重巡洋艦戦記』(光人社)