著者の橘玲氏は、一貫して「日本も世界もリベラル化している」と述べてきました。
ここでいう「リベラル」は政治イデオロギーのことではなく、「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが自分らしく生きられる。社会を目指すべきだ」という価値観のことを指します。
「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、これはここ60年くらいでアメリカから世界に広まった特殊な考え方です。「無理ゲー社会(小学館新書)」で、橘氏は「世界価値観調査」に注目します。この調査は、1981年から2020年まで計7回行なわれています。
1人あたりGDP(国内総生産)が増えるにつれて、伝統的価値から非宗教的・理性的価値へと向かう「世俗化」と、生存価値から自己表現価値へと向かう「自分らしき化」の傾向がはっきりと見られたそうです。
また、興味深いことに、日本人はこの調査では「世界でもっとも世俗的な国民」だということが明らかにされているそうです。
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橘氏は、この調査によって、「リベラル化の潮流」は明らかだとしています。「世俗化」や「自分らしさ化」がリベラルと結びつくのは、「わたしが自由に生きるのなら、あなたにも自由に生きる権利がある」という考え方と結びつきます。この「自由の普遍性」のようなものが、リベラリズム(自由主義)を支える根拠となります。
けれども、すべての人々が「自分らしく」生きるべきだとするリベラルな理想には、どこか不吉なところがあると橘氏は指摘します。
リベラルな社会で「自分らしく生きられない」人びとはいったいどうすればいいのか?
リベラル化の潮流で、「自分らしく生きられる」世界が実現してしまうと、以下の3つの変化が起きて、その影響は大きくなるばかりです。
①世界が複雑になる②中間共同体が解体する③自己責任が強調される
身分制社会では、生まれたときの身分によって、職業や結婚相手など人生がすべて決まってしまっていました。これは理不尽ではありますが、それで不幸になったとしても個人の責任が問われることはなかったでしょう。
ところが「誰もが自分らしく生きられる社会」では、もはや身分のせいにすることはできず、成功も失敗もすべて自己責任となってしまいます。
リベラルの理想を信じるひとたちは、現代社会で起きているさまざまな社会問題をリベラルな政策で解決しようとしています。
しかし、これは話が逆なのだそうです。じつは「リベラル化」がすべての問題を引き起こしているというのです。
私たちは「自由な人生」を求め、いつのまにか囚われてしまったという橘氏の指摘は重いものがあります。
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