飯山陽氏の初めてのエッセイである「エジプトの空の下」は、貴重な革命のルポタージュでもあります。
報道からは伝わらない、むしろ意図的に排除されている、エジプトの人びとや風景が瑞々しい筆致で描かれています。
著者である飯山氏の日常、とくにお嬢さんと親友やサラフィーの運転手との心の交流は、とても微笑ましいく、温かな印象が残ります。またエジプトの人びとの苦悩や後悔も、穏やかな筆致で記されています。また、外国であるエジプトは日本とちがい、常に危険と隣り合わせです。こういった経験が、飯山氏の研究者としての姿勢に大きな影響を与えたのかもしれません。
アラブ人は抗議の意味で投石することが多く、これがもうめちゃくちゃに投げまくる ので、頭に当たりでもしたら大事です。日本に帰国後、前後左右上下に注意を払わずとも道を歩くことのできる気楽さに感激しました。
人はいつどのように死ぬか全くわからないという現実を、われわれ日本人は真摯に見つめ直すべきですね。
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後半、エジプトで起きた「アラブの春」が、どんな結末となったのかというくだりは、読んでいて心が痛みます。
エジプトには「テロとの戦い」をしない、という選択肢はありません。 自動小銃や迫撃砲 で突如攻撃を始めたり、あちこちに爆弾を仕掛けては爆発させたりするテロリストが、市民 の中に潜んでいるのです。ここでは自由は、平和ではなく混乱と無秩序と死をもたらします。
そしてこのことを伝えられない報道機関しか持てなかったわたしたち日本人。情報への感度の低さが悔やまれました。
そのような「現場の現実」には見向きもせず、シシ政権を人権弾圧の独裁政権だと非難する「専門家」や外国メディアは極めて偽善的かつ無責任です。 日本にも、「テロリストとは戦うな、話し合え」と意見する「専門家」や政治家や、文化人などがいます。
中東各地に「アラブの春」と呼ばれる騒乱が吹き荒れた2011年1月のエジプトの「革命」後、ムスリム同胞団による暴力行為はエスカレートしていくという皮肉な事態となりました。民主的に選ばれたモルシ氏によって、ますます「同胞団化」という独裁が進みました。体制派でない人間や異教徒は、大いに弾圧されました。
結果、2013年に日本や西側メディアの言う「軍事クーデター」が起こりました。エジプトの人びとによる大規模なデモも含んだもので「第二革命」と呼ばれるものでした。政治の中枢からはムスリム同胞団を排除することができました。
そして、国防相だったアブデルファタフ・サイード・シシ氏が大統領となります。西側からは独裁者と呼ばれています。シン氏はかつての大統領たちとちがい、異教徒との多様性も尊重しているようです。そして今日のいまも、治安を回復するための戦いは続いています。
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飯山氏は日本のイスラム教学には辛辣な意見を述べています。
それはイスラムという研究対象への愛でもあると思いますが、日本人の学問への真摯さ・誠実さが足りないことへの意義申し立てでもあると思います。学者たちの人間理解の未熟さの指摘でもあります。
多様性とは多くの額さのいうような心地よいものではありません。私たち日本人は、「郷に入っては郷に従え」と言わんばかりに、「許される範囲での多様性」と平然と言ってしまいます。
少なくとも多様化が進めば不快になることのほうが多いでしょう。それを乗り越えられるだろうか。そういった独りよがりのかん違いを捨てろと飯山氏は言っているように感じられました。
もうひとつのまったく別の人生、エジプトの空の下を歩いたような感慨に襲われる一冊です。
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