名著を検証する:「失敗の本質」を精読⑤「白兵銃剣主義の墨守」とは(上)

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『失敗の本質』精読検証の第5回です。今回は「白兵銃剣主義の墨守」について着目します。本稿(上)では主に同書が終章(3章)で展開する「失敗の教訓」のうち、「白兵銃剣主義の墨守」に関連する論考部分を要約(※1)します。それに対する考察は次回(下)において展開致します。

(前回:「失敗の本質」を精読④

因習化していた白兵銃剣主義

同書は「3章 失敗の教訓」の冒頭、前章で分析した日本軍の「失敗の本質」について次のようにまとめ、終章の方針を説明します。

これらの原因を総合していえることは、日本軍は、自らの戦略と組織をその環境にマッチさせることに失敗したということである。したがって、この3章では、日本軍の環境適応の失敗を、その根源にさかのぼって理論的に考察することにしたい。(P242)

その考察を通じて、「白兵銃剣主義」と「日本軍の失敗」のかかわりについては、(要約すると)次のように総括します。

「『白兵銃剣主義』というパラダイムは日露戦争における乃木希典あたりまでさかのぼることができる。以後それは、精神主義につながり行動様式まで高められるなど、環境適応(歩兵重視・突撃傾倒)しすぎていったが、満州事変から日中戦争や対米英緒戦までの作戦成功でその信念が強化されてしまった。それらの成功体験に囚われた日本陸軍は、最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却(=学習棄却)できなかった

この考察の過程において、20回(※2)登場する「白兵銃剣主義」という言葉は、同書の分析を貫く概念の一つです。その考察プロセスは要約すると下記の通り(大意要約)です。

失敗の原因帰属

はじめに、下記の通り「日本軍が犯した失敗の原因(の一つ)」=「環境に適応し過ぎたこと」という原因帰属を主張します。

まことに逆説的ではあるが、「日本軍は環境に適応しすぎて失敗した」(P246より引用、太字は引用者、以下同じ)

これにつづけて「適応しすぎに陥った理由」について、五つの要因に因子分解してそれぞれの考察をすすめて行きます。

五つの因子

五つの因子とは、「戦略・戦術」、「資源」、「組織特性」、「組織学習」、「組織文化」で構成されます。

戦略・戦術>
戦略・戦術については下記の通り、「帝国陸軍の戦略原型は『戦勝のカギは、白兵戦における最後の銃剣突撃にある』という『ものの見方』に(大東亜戦争末期まで)一貫して支配されていた」、とします。

日本軍の戦略は、陸海軍ともきわめて強力かつ一貫した「ものの見方」に支配されていた(中略)帝国陸軍が個々の作戦で共通に準拠していた戦略原型は、陸上戦闘において戦勝を獲得するカギは、白兵戦における最後の銃剣突撃にある、という「ものの見方」であった。いわゆる白兵戦思想である。(P247)

近代戦の要素を持っていた日露戦争を経験しても、西南戦争に従軍した指導者は、過去の薩軍の突撃力がきわめてすぐれていたこと、露軍が歩兵の近接格闘を重視し実際白兵戦闘が強かったこと、旅順戦における二〇三高地の最後の勝利は肉弾攻撃であったこと、などに思いをはせて、結局は銃剣突撃主義に傾倒していった(P247・248)

白兵戦による銃剣突撃主義が帝国陸軍の戦略原型であったことは、明治四一年五月の教育総監部発行による、「戦法訓練の基本」の原則に明確に表れている。それは、(中略)次の四項目を重視している(金子常規『兵器と戦術の世界史』)。①無形の精神的要素が最大の戦力であることを実証した戦訓に基づいて、とくに軍人精神の錬磨向上を期すべきこと。②将来もいぜん予想される日本陸軍の物力不足に応ずるため、とくに軍隊の精錬が必要であること。③当分の間歩兵中心主義に徹すること。④歩兵先頭の主眼は攻撃精神に立脚する白兵戦にあり、射撃は敵に近接する一手段であることを明確にすること。このような項目は、これ以降多少の修正はあっても、基本的な原型はまったく変更されずに、大東亜戦争末期に至るまで維持されたのである。(P248)

資源>
そして、「『白兵戦思想(≒白兵銃剣主義)』に適合した資源の蓄積を行った」とします。つまり、「日本軍は兵員を増加し精神力を高める方向で環境変化に対応し、装備の近代化と火力の充実は不十分だった」と見ております。

帝国陸軍は、白兵銃剣主義に適合すべく人的資源の量的拡充に励んだ。(中略)しかし近代的兵器・装備は、銃剣白兵が高く評価されていたので、作戦環境に合わせて十分に整備されることはなかった。(P249)

組織特性>
また日本軍の組織特性として、「歩兵中心の組織と、年功序列の人事システムや暗記と記憶力を強調した教育システムによって『白兵銃剣主義の墨守』という状況が生み出され、最後まで維持された」とします。

白兵戦を展開する歩兵が、中核として突出するような組織になっていたし、歩砲分離の状態で戦闘を行うことが多かった。(P254・255)

人事昇進システムは、日本軍は基本的には年功序列であった。したがって、陸軍の首脳部は歩兵科出身の将軍に占められていた(中略)戦時において日本軍には米軍のような能力主義による思い切った抜擢人事はなかった。(中略)したがって、人事昇進システムの面で既存の価値体系を強化こそすれ、それを破壊することはきわめて困難であった。(P255)

陸大卒業者は、記憶力、データ処理、文書作成能力にすぐれ、事務官僚としてもすぐれており、たとえば東条大将はメモ魔といわれたほどだが、またその記憶力のよさも人を驚かせていたといわれる(中略)それらの人々がオリジナリティを奨励するよりは、暗記と記憶力を強調した教育システムを通じて養成されたということである。(中略)艦隊決戦主義や白兵銃剣主義の墨守は、このような教育体系の産物でもあった(P256)

帝国陸海軍の白兵銃剣主義や大艦巨砲主義というパラダイムを具現したリーダーないし英雄は、おそらく乃木希典ならびに東郷平八郎にまでさかのぼることができるだろう。(P257)

日本軍のなかで組織成員が日々見たり接したりできたリーダーの多くは、白兵戦と艦隊決戦という戦略原型をなんらかの形で具現化した人々であった。(P258)

組織学習>
学習という観点からは、「大東亜戦争初期頃までは、白兵銃剣主義に基づく戦い方で大いに成果を上げたため、自らの『ものの見方』への自信・確信をますます深めた。しかし初期の成功が逆に災いしその信念を強化しすぎて、(対米戦闘には通用しない)白兵銃剣主義を最後まで学習棄却することに失敗した」とします。

組織はその成果を通じて既存の知識の強化、修正あるいは棄却と新知識の獲得を行っていく。(中略)実際、帝国陸軍の白兵銃剣主義の成果はけっして悪いものではなかった。(中略)満州・中国から香港、シンガポールへと続いた白兵銃剣主義の成功は、火力に頼らずにやれたという自信とあいまって、ますます強化されたのは、当然のことであった。(中略)帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。帝国陸軍は、ガダルカナル戦以降火力重視の必要性を認めながらも、最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却できなかった(P259~261)

組織文化>
最後に「日本軍は白兵銃剣主義に適応し過ぎて特殊化した」として、結論命題の論拠となる分析を結びます。

つまり、帝国陸海軍においては、戦略・戦術の原型が組織成員の共有された行動様式にまで徹底して高められていたのである。その点で、日本軍は適応しすぎて特殊化していた組織なのであった。(P264)

むすび

同書が展開する上記のような分析については、一定程度理解できます。具体的には、白兵銃剣主義に傾倒していった前半の分析は説得力があります。

しかし、「最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却できなかった」という部分については異論があります。なぜなら事実として、遅くとも1944年頃には「航空主兵」のための航空要塞(≒飛行場)の設定・確保が地上部隊の第一義的な任務となっていたからです。沖縄戦の混乱もそれが背景にあります。

またその任務の一環としての島嶼防衛戦も、汀線における局地的な白兵戦である水際撃滅よりも、地下坑道(硫黄島)や洞窟あるいは反斜面陣地を活用した持久戦(沖縄)に戦術の中心が移って行きました。つまり「大東亜戦争末期まで」「墨守した」「脱却できなかった」という認識は事実とは大きな乖離があります。

この論点は、例えば「学習軽視」など同書が主張する他の要素と深く関連するので、次回検証いたします。その検証には『戦闘戦史』(樋口隆晴著、作品社)という名著が活躍します。

 

 

(「失敗の本質」を精読⑥(下)につづく)

※1 要約には「意味の改変」や「ストローマン論法」の危険があります。一般論として、文脈から切り離された文は意味の改変から完全に逃れることはできません。しかし「切り取り」や「藁人形化」で読者を誤導してしまうことは本意ではありませんので注意を払いましたが、確認用に引用箇所も明記しました。もしも不審な点があれば、かならず原書に照らしてください。
※2 同義語含む。内訳:「白兵」使用27回のうち、「白兵銃剣主義」10「白兵第一主義」3「白兵主義」2「銃剣突撃」5、「白兵戦」11他1。

<主な参考文>
『失敗の本質』(ダイヤモンド社単行本およびKindle版)
『戦闘戦史』(樋口隆晴著、作品社)

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