また2人の野球選手がキューバを離れた。
今年はキューバから失踪した野球選手は現在まで17人
11月にまたキューバから2人の野球選手が国を離れた。ショートのダーリン・ヒメネス選手とキャッチャーのグスタボ・ウルゲリェス選手だ。この2人がいなくなったことでキューバ代表チームは12人の選手だけとなった。この2人の選手が失踪した経路は不明だ。
推測されている経路は観光ビザを取得してドミニカ共和国へ行き、そこからハイチに入国することだ。そこで在住許可を取得すれば米国のチームでプレーできる為の条件を満たすことが容易になるとされている。
今年に入ってこれまで17人の選手がキューバを離れたことになる。先ず最初は6月に東京オリンピックへの出場権を競う予選が米国で開催されたのを利用して3人の選手が亡命。その後10月にはベースボールワールドカップU-23がメキシコで開催された期間中に12人の選手が失踪した。そして今回2人の選手が失踪。
失踪した選手で大リーグで通用する選手は僅か
これまでもキューバを離れた選手全員が大リーグのスカウトとの接触があったわけではない。前述の失踪した12人の選手の中で4人から5人の選手だけが米国のリーグチームと契約するようになる可能性があるだけだ、と指摘したのは同じくキューバから亡命したジャーナリストのフランシー・ロメロ氏だ。彼は1960年以降キューバから野球選手が米国に移住した歴史を綴った「夢と現実」というタイトルの本の著者だ。
正に、その年にフィデル・カストロ氏がキューバのプロ野球リーグを廃止にした年であった。これが一つの衝撃となって多くの野球選手は外国でのプレーを望むようになった。しかし、実際に選手が積極的に外国でプレーをすべく国を去るようになったのは1991年からだということをロメロ氏は指摘した。
その第一号として失踪して米国でプレーすることになったレネー・アロチャ氏は「私は大リーグでプレーする為に(キューバを)去ったのではない。そうではなく自由の身になりたかったからだ」といつも語っている。
キューバを失踪するのは自由の身になりたいからだ
またロメロ氏は「(失踪した)彼らの多くは大成するとは思っていなし、プロとしての契約をするようになるとも思っていない。しかし、それは彼らにとってどうでもよいことなのだ。失踪するのは(大リーグへの)夢を達成する為ではなく、生活していける為だ」と述べ、キューバ政府は(大リーグの)スカウトによるプレッシャーの影響によるものだと表向き弁明しようとする傾向にあることを指摘した。しかし、実際にはそうではなく、「(失踪した)多くの選手は逸材を探すスカウトとの接触はない。というのも、多くの選手は大リーグでプレーできるような能力はないからだ。12人の選手が失踪した時にプロとして契約するだけの能力を持っている選手は半分もいない。4人か5人だ」と述べて、キューバでの生活が若者にとって自由がなく、そこから逃れるのが本来の目的だということを指摘したのである。
更に同氏が次のようなことを語っている。「彼らの失踪を援助しているのはスカウトではない。そうではなく、(米国に在住している)友人や家族だ。しかもお互いにネットを使って容易にコンタクトできるようになった。以前は携帯もインターネットもなく外部との交信はなかった。しかし、今では2-3のメッセージを与えることでホテルからどのように失踪できるかということを事前に打ち合わせしたりすることができるようになっている」と。(10月17日付「リベルター・ディヒタル」から引用)。
このような現象もキューバの現政治体制が終幕を迎えているからだ
「国を離れると最初の数か月は複雑だ。最も難しいのは(国を)脱出することではない。今後のことだ。少なくとも最初の1年間は誰かによる経済的な支援が必要だ。メキシコに留まることを試みる選手もいるだろう。その為には新しい在住許可書が必要になって来る。それにはおよそ18カ月を要する。または米国に亡命を申請する選手もいるだろう。そこで野球の道を志す選手もいるだろう。しかし、それも容易ではない」とロメロ氏は語った。同氏は選手の中には米国でスポーツの奨学金の支給を目当てに大学に入学を試みようとする選手もいるはずだと想像もしている。しかし、その門は非常に狭く、恐らくU23のワールドカップを利用して失踪した選手の多くは野球人生はそれで終わるであろう、と結論づけている。
このようなことが事前に分かっていても、それでもキューバから去ろうとするのは現在のキューバが置かれている厳しい経済事情が背景にある。「10年前でもキューバでの生活は難しかった。しかし、今はその極限に達している」とも述べ、キューバ政府はもう終幕を迎えたことを指摘している。