歳末10万円給付狂騒曲

18歳以下の子供を対象とした10万円給付。そもそもは衆議院選挙の際、公明党が一律交付を公約としていたことが引き金です。公明党と与党を組む自民党としては一定の配慮が必要なものの、いくら何でも一律では社会的に問題も大きいと自民からは所得制限をかける案も出ていました。最新の情勢は960万円の所得制限について地方自治体の判断を尊重するとしています。これを受けて東京や横浜などは引き続き所得制限を設けるものの大阪や兵庫の一部の自治体をはじめ地方都市ではこの制限を撤廃する動きが加速、住む場所によりもらえる金額が違うという事態が生じています。

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また、10万円の配布の仕方も①現金5万円プラス春頃にクーポン5万円分 ②現金5万円ずつ、二回に分けて支給 ③年内10万円一括支給の三通りとなる見込みです。そもそもの発端である公明党の山口代表はこれを受け「わが党としては、当初から全額現金での一括給付もありうべしと訴えてきたので、自治体の実情によって選べるようになったことは妥当な判断だ」(NHK)と安どの表情を見せています。

一方、ドライバーであった政権には厳しい意見が殺到しています。迷走したこと、時間がかかったこと、クーポン発行に900億円という巨額のコストが発生することに多くの疑問が投げかけられました。但し、政権はまだ成立してから2か月でハネムーン期間の100日を経ていないのでマスコミも政権に対するコメントはやや控え気味のように感じます。

この10万円給付問題、麻生氏が財務大臣だったらどう吠えていたか、聞いてみたいものです。麻生氏は今年の初めに10万円の再度交付要望が出る中「やらない」ときっぱりした姿勢を見せており、その理由の一つに貯金に回るだけだと述べています。事実、昨年の交付でも7割ぐらいが貯金に回ったとされます。本来、支援金は生活や日々のやりくりに困る対策なので貯金に回ったということは家計のやりくり上、多くの世帯では必要はなかったといえます。また、「10万円もらってラッキー」と感じた生活苦ではない人たちが消費を楽しんだケースもあったわけでこの支援金の本質は何だったのか、ということになります。

ましてや現在だけ見ればコロナ感染者は全国で100人台が続き、重症者も低減しています。海外との行き来は限定されていますが、国内だけ見ればほぼ通常の状態に戻っています。なぜこのタイミングで手厚い支援を差し上げなくてはいけないのか、さっぱりわかりません。そもそも訪日外国人が増えたこの7-8年の上積み分が剥げたと考えれば外国人が少ない現在の姿でも日本経済がそこまでガタガタになる道理でもないはずです。日本は世界の中でも相当優秀なコロナ抑制が出来ています。感染者の数だけ見ればほかの病気がはるかに凌駕している中でコロナだけに異様に執着しているのも不思議感があります。

私の住むバンクーバーではすでにコロナ対策の反動である税額の上昇が始まっています。例えば固定資産税は20年に大幅減税になったものの21年は商業不動産において反動で5割近い上昇となり、22年も住宅、商業不動産ともに引き続き上昇することが見込まれています。つまり正常化どころか「貸したものを返してくれ」というスタンスに代わっているのです。

ところがいったん甘い汁を吸うと「こんなに高くなる」という人々の抵抗は当然あります。よって手厚い支援は逆に通常時に戻った時が一番怖いのです。アメリカが雇用問題を抱えているのは好例です。日本も企業の倒産件数が半世紀ぶりの歴史的に少ない状況となっています。支援のおかげですが、これは22年が非常に苦しい年になる企業や経営者が出てくることを占っています。

10万円支援の件もそもそも論である子供への一律支援は本当に必要だったのか、という議論は役所風に言えば「それはお上が決めた既定路線なので」ということになりますが、既定にも賞味期限はあるはずです。「決まったことはなにがなんでもやり通す」という予算ありき主義、「使わぬ予算は使えない役人と同じ意味」という発想があるわけですが、餅まきをさせた政治家の罪も深いと思います。もちろん、国民は文句を言わないでしょう。貰えるものはもらっておけ、です。

この「つけ」は最後、何処に行くのでしょうか?財政的にどうのこうのというより日本の自立すべき足腰が弱くなる、ということだと思います。支援ありきの社会構造になると今後、何かまた別の問題が生じたときへの前例を作ることになり、国民は容易く「政府は何をやっている!」と依存体制を深め、自壊への道に向かっていきます。甘えの構造であり、造語の「全体社会主義」と言われる所以です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年12月15日の記事より転載させていただきました。