就労継続支援B型事業所の抱える矛盾 --- 松橋 倫久

私は令和2年5月から令和3年4月まで、就労継続支援B型事業所へ通っていた。その時に感じた矛盾を、辞めた後も消化しきれなかったので、アゴラへ投稿して世の中へ問いたいと思った。

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就労継続支援B型とは、障害者総合支援法に基づき、障がい者等の病状・障がいのために雇用契約を結んで働くことが困難な人が、軽作業等の就労訓練を受けるという福祉サービスである。

これと類似するサービスに就労継続支援A型というものがある。A型の方は雇用契約を結ぶ形となっており、雇用契約を結ぶが故に最低賃金法に基づく最低賃金が保証されている。逆に言えば、B型は支払われる対価が賃金ではなく工賃と呼ばれていて、最低賃金の金額を下回ることが許されている。私の場合は時給100円程度で、施設によって時給は異なるものの概ねA型よりはだいぶ低く設定されているのが実態である。

雇用契約を結び利用する「A型」と、雇用契約を結ばないで利用する「B型」の2種類がある。就業支援どっとこむより(編集部)

時給100円であれば、一日4時間、週5日働いたとして、月額の所得はだいたい8千円位となる。私はもっと短い時間しか働いていなかったのだが、私が時給100円を稼ぐために、市から月額10万円近くの利用料が支払われていることを知ったときには、仰天した(10万円というのは、僕がもらった明細に記載されていた金額で、利用時間などによって異なるかもしれない)。

障がい者本人は利用料を払わなくても良いケースが多いのだが(住民税課税額に応じて、三段階の料金設定となっている)、その代わり市から利用料が支払われている。

このことを知ったときの私の感想は、率直に言って半額でも良いから直接援助がもらえればなあというものであった。もちろん、障がい者に直接お金が支払われれば、福祉産業で雇用されている人が困る。それはそうなのだが、障がい者が時給100円を稼ぐために、市がB型事業所に10万円払うというのは、障がい者が幸せに暮らすことが目標とされているのなら、とても矛盾のある制度であると考える。

福祉産業の雇用を維持するために、ある意味では障がい者が犠牲になっているということもできる。私がB型事業所で働いていたときに、他の障がい者は待遇に文句を言う人はいなかった。とはいえ、皆が満足していたとは思えない。

B型事業所しか就労先が無いと本人が信じていれば、声を上げることができない。私もこの記事を書くに当たって、就労継続支援B型事業所の利用は、今後はできないかもしれないと思っている。現在の就労継続支援B型の制度は、障がい者の犠牲の元に福祉業界の雇用が維持されている。障がい者の事を考えたときに、本当にそれでいいの?という問題提起を行いたい。

先ほども書いたとおり、半額でも良いから障がい者本人に現金が支給されれば、障がい者本人はとても助かる。障がい者に生きがいを与えるために、就労継続支援B型があるという意見もあるかもしれないが、健常者の10分の1の工賃で生きがいを感じられるのだろうか。少なくとも私はばからしく感じて、頑張ることを止めてしまった。

就労継続支援B型もA型も、私の地元の八戸市でもすごい勢いで事業所が増えてきている。だが、障がい者がある意味では犠牲になっている現在のB型事業所が、障がい者の待遇が変わらないまま増えるのなら、あまり喜ばしい話ではない。

とはいえ私も、障がい者の親などが日中活動できる場所があるだけでも感謝しているという話を聞いたりもする。障がい者の家族にしてみても、何もすることが無くずっと家にいられても迷惑だという本音があるのだろう。

障がい者本人、障がい者の家族、福祉施設に雇用されている人の三者が全員ハッピーになるにはどうしたらよいか。福祉施設の存在自体は、家族の気持ちを考えるとあっても良いのかもしれない。ただ、やはり人が人としての尊厳を感じられるような働き方をするためには、障がい者だからといって最低賃金を支払わないというのは、良くないと思う。

A型、B型とわけずに、障がい者全員に最低賃金法を適用するべきではないか。その上で、生産性の面でついていけない障がい者には、働く場所ややりがいは提供できないけど、現金支給で支援するというのはどうだろう。潤沢な資金が、障がい者に直接渡らない現在の仕組みは、福祉産業を支えてはいるけれど、政府には障がい者本人が幸せに暮らすことができるような仕組み作りをお願いしたい。

松橋 倫久
元青森県庁職員
1978年青森県生まれ。東北大学経済学部を経て、青森県庁奉職。在職中、弘前大学大学院を修了。統合失調症の悪化により、2016年青森県庁辞職。現在は療養しながら、文芸の活動をしている。