「下流社会」という言葉を作った三浦展氏による「大下流国家 「オワコン日本」の現在地」は、なんともいえない諦念が漂っている。一流のマーケターと呼ばれる人ですらも、日本を見限ってしまったようだ。
その中でとくに興味深い分析だったのは、われわれはすでに下流なのに、中流だと自己欺瞞をしつづけてきたという指摘である。年収400万円台の男性の階層意識は低下してもよさそうなものである。ところが、実際は逆に階層意識は上昇した。おかしな話であるが、年収400万円台でも中流だという意識が広がったと言えるのではないか。
「民間給与実態統計調査結果」によると、われわれの給与は、90年代と比べるとほぼ20年間横ばいである。1年未満の就労者に限ってみると男女ともに90年代前半よりも低くなるという。
けれども、三浦による意識調査によると、階層意識はむしろ上昇している。なぜか。
バブルが崩壊してから、日本人はまちがいなく貧しくなった。しかし、所得低下と軌を一にして物価も下がったため、生活水準が下がったという実感を抱かずにみんなやり過ごせてしまった。
このように見ると、現代の中流、特に若い世代の中流はいわば「ニセ中流」であると言える。
中流の意味が変わってしまったのだ。中流という言葉の中身がデフレ化してしまったのだが、みんながみんなデフレ化してしまったので、下流化に気づかなかったのである。あるいは気づいていてもあえて見ないふりをしてきたのだ。
二人以上の世帯の消費支出を見ると、全体では2000年の380万7937円から2019年は352万547円、20年はコロナもあり333万5114円と50万円近く減少、食料費は9万3680円から2011年は8万2850円にまで下がった。にもかかわらず、1年から上昇に転じ、20年は9万2373円である。つまり近年エンゲル係数が上がったのである。
ユニクロ、100円ショップ、ネットオークション、ドラッググストアの苛烈な競争によって日用品の価格は下がった一方で、生活に欠かせない食料品の価格は円安の影響を受けて上がってしまった。企業物価が著しく上がってきているこれからはどうなるのだろうか。
生活が苦しい人が増えたのならば、自分の階層が下がっていると感じる人が増える方が自然である。けれども、そうした生活水準の低下が決定的に生活への不満に結びつくとは限らないことが、現代日本の不思議なところだ。それは、自分の点数が下がっても平均点も下がれば問題ないという心理ではないかと著者は推測している。
こうした全体的な「上流化」あるいは「階層上昇」の意識は、自分のテストの点数が70点から60点に下がっても、クラスの平均点も60点から50点に下がっていれば安心だという心理なのだと私は思う。
われわれ日本人を蝕んでいるのは、客観的に見ると15年前なら自分は下流だと嘆いたはずなのに、今はまわりと比較するとみな同じように落ちぶれたので主観的には自分は中流だと安心するという心理によるものなのだ。
われわれは貧しくなった。日本経済の復興は、一人ひとりがその自覚から始めないといけないのかもしれない。日本の現在地を知るための貴重な分析である。