地元を訪ねて
地元から総理大臣が出ることはやっぱり嬉しいことだ。特に人と土地との結びつきが強い地方だとなおさらその思いを強くするのではないだろうか。
2020年の9月に菅義偉氏が自民党総裁、並びに日本国の首相に選出された際、生まれ故郷の秋田は大いに盛り上がった。その時、秋田に住んでいた筆者は菅氏を祝う横断幕や地元の人々が喜ぶ光景を目にした。また、秋田の地方紙である秋田魁新報に至ってはこれでもかというほど一面で菅氏が秋田出身であることを強調していた。
菅氏は秋田出身ではあるものの、厳密には神奈川選出の衆議院議員であるため、手放しに秋田初の首相が誕生したとする空気は少しひっかかるものであったが、広義の意味では秋田初という表現は正しいという結論に筆者はたどり着いた。
そして、そのような首相経験者を誇らしく思う風潮は筆者の地元である徳島県でも見られる。徳島の中心部から車で30分ほどの場所に、徳島出身としては唯一の総理経験者である三木武夫氏の故郷がある。三木氏の地元である徳島県土成町では、彼の実家の跡地を記念公園として整備しており、そこから数百メートルの地点では彼を讃えた銅像が建立している。
地元を代表する偉人のゆかりの地を筆者は実際に訪れてみた。三木氏を記念する建造物の周りは、田園風景と山景色が見られ、老朽化した建物が多く、日本各地の田舎ではありふれた光景を目にした。しかし、そのような地域から日本の指導者が誕生したという事実は、地方出身者でも努力さえすれば立身出世ができるという希望を与えてくれる。
クリーンな政治家?
三木武夫氏といえば、田中角栄首相が金銭スキャンダルで退陣した後を受けて首相に就任した、清廉潔白で「クリーン」な政治家としての印象が強い。
しかし、それは三木氏の一面しか捉えていない。彼を「クリーン」とする評価に一躍かっているのが悪名高い翼賛選挙で非推薦として当選したことだ。しかし、実際のところ彼は推薦候補として出馬することを望んでおり、政府が当選一回の三木氏を信用していなかったことが非推薦に至ったと推察されている。当時の政府の方針であった大東亜共栄圏の設立を選挙期間中に訴えていた。さらに、粛軍演説で有名で、戦前の帝国議会の良心を代表する斎藤隆夫を除名することに賛成票を投じている。そして、終生「大東亜戦争」、「支那事変」という用語を使い続けた。すなわち、彼は戦前の世論に迎合していた政治家であり、公職追放されてもおかしくなかったが、翼賛選挙で非推薦となったことが幸いして、軍部の横暴に抗った民主的な政治家として戦後も政治の中枢で居続けることができた。
また、戦後において政治的に抹殺されそうな経歴を持ちながらも彼が存在感を発揮し続けたのは彼の並外れた政治家としての嗅覚である。戦前から一貫して彼はポピュリストとして行動した。彼は世論が当時の首相に反発してみると見るや自党の首相出会っても反発することを恐れなかった。例えば、岸信介に逆風が吹いていると見るや、現職の大臣でありながらも職を辞し、新日米安保条約の採決さえ欠席している。また、岸の弟である佐藤栄作に対しても同様の態度を示し、大臣を辞してから、総裁選で佐藤の対抗馬として出ている。そして、世論の動向に応じて、立場や主張をコロコロ変えることから三木氏はバルカン政治家という異名を持っている。
また、首相の座も彼の時流を読む力で手にいれた。田中角栄が退陣した後を巡って、自民党は激しく揺れた。世論の風当たりが強くなり、党内の有力者である大平対福田赳夫の対立が激化していた。その中で、三木氏は自分が権力を握るチャンスが訪れたとして、自民党からの脱党を示唆した。三木氏とその一派が脱党すれば自民が与党から転落される可能性があったため、党内指導部は懐柔策として三木総理の誕生を容認するしかなかった。
このように、三木氏は「クリーン」という言葉だけでは言い表すことができない、狡猾で逞しい政治家としての一面も持っているのである。
三木氏の遺産と向き合う現代日本
三木内閣は短命政権で終わったことで実績は少ないものの、今でも日本政治に影響を与えているものが一つあり、それは防衛費GNP1%枠(現在はGDP比で換算)という決定である。1976年に三木内閣は閣議決定において、「防衛関係経費の総額」が「当該年度の国民 総生産の100分の1に相当する額を超えないこと」を定め、歴代内閣はその方針を踏襲してきた。
そして、この決定はポピュリスト政治家としての三木氏の真骨頂である。防衛費をGNP1%に限定するという決定は防衛費の増長に歯止めをかける意味合いがあり、それによって平和主義国家として防衛費の増加を危惧する左派に迎合する政策である。同時に、GNPと防衛費の増加を連携することで日本経済が成長する限りは防衛費が増えていくため、逆に日本を守るために防衛費の増加を求める右派の支持を得るという折衷案という見方もできる。
しかし、GNP1%枠という決定は二つの前提に基づいていた。一つは日本経済が成長し続けるという前提であり、もう一つは劇的に防衛費を増やす状況に日本が置かれないという前提である。しかし、東アジア情勢の緊迫化、または慢性的な不況により、それらの前提が崩れ始めている。
そして、新たな前提に対応するために自民党からは防衛費をGDP比2%まで増やさなければならないという声もある。一方でさらなる軍拡が平和主義国家としての日本を逸脱させることにつながるという懸念がある。
三木氏は自分が残した遺産が今後の日本でどのように修正または継承されていくか。天からどのように見物しているのであろうか。また、存命であるならば、どのように現代日本の世論に適応した方針を我々に示すのか気になるところでもある。