茨城介護施設殺人事件は疑問だらけ

茨城県の介護老人保健施設で、空気を注入したという容疑で赤間恵美容疑者が逮捕された。

本件については、捜査機関の動きについて個人的に合理的な疑いを覚えた。

NHKより(編集部)

まず、事件発覚後、1年半以上経ってから赤間容疑者が逮捕されたことだ。

報道にあるように、目撃証人が存在し、事件直後に赤間容疑者が不自然な退職をしていたのであれば、日本の警察の伝統芸能とも言える「任意同行」で赤間容疑者はとっくの昔に事実上の取り調べを受けているはずだ。

赤間容疑者が真犯人であれば、その時点で事件解決となっていただろう。

1年半以上経ってから逮捕したというのは、「容疑者を逮捕しないと警察の威信が失われる」という上層部からのプレッシャーがあったのではないだろうか?

毒物カレー事件と同様、「こいつを犯人にしておけば警察の威信は保てる」と考え、捜査機関がストーリーを描いたのではないでろうか?

捜査機関が自ら描いたストーリーに沿って証拠を集めたり、場合によっては虚偽の自白を強要するのは、広中淳一郎弁護士が著した「生涯弁護人」を読めば明らかだ。

私自身、「まさか捜査機関がそんなことをするまい」と思いつつ「ストーリーができ過ぎている」という迷いを以前から抱いていたところ、本書は極めて的確な回答を与えてくれた。

次に、赤間被疑者の「認否」を捜査機関(警察、検察)が明らかにしていない点が大いに気がかりだ。

「認否を明らかにしない」というのは、おそらく赤間容疑者は否認をしているのだろう。

否認していることが世間に公になると困るのは誰か?

言うまでもなく、虚偽の目撃証言をした面々だ。

自責の念に駆られて「あの証言は警察の人たちに誘導されただけなのです」などと表明されたのでは、それこそ「警察と検察の威信」が地に落ちてしまう。

まったく危険性のない交通違反を大げさに追いかけて、善良な国民に対して違反切符を切っている警察に対し、国民の多くは最初から「威信」など感じていない。

ただ、現場の警察官に対して、多くの国民が「信頼」を寄せていることは確かだろう。

「威信」と「信頼」は別物だ。

間違えを素直に認めることは「威信」を損ねるかもしれないが、国民からの「信頼」はかえって厚くなる。私たちの多くは、素直に非を認めて謝罪した犯罪者やスキャンダルを暴かれた公人たちの深追い止める。「信頼すればそれ以上責めない」というのは日本人の美徳のひとつだ。

第三に、別の被害者が出たことを明らかにして赤間容疑者を再逮捕したことだ。

通常であれば、身柄拘束である逮捕勾留は最大で23日間で、検察は起訴するか不起訴にするかを決めなければならない。

少しでも無罪になりそうな事件は不起訴にするのも検察のお家芸だ。無罪判決を受けた検察官やその上司は出世の道を閉ざされてしまうので、「君子危うきに近寄らず」で不起訴にしてしまう。

結果、有罪率99%以上になるのは当然のことであって、日本の検察が優秀である訳では決してない。

ところが、これまた日本の捜査機関のお家芸で、本件でも(別人を殺したという理由で)再逮捕し、身柄拘束期間を延々と延ばしている。1年半以上も捜査する時間があったのだから、別人に対する殺人容疑を警察等が知らないはずがない。

身柄拘束を長引かせるための「切り札」として懐に忍ばせていことくらい、容易に想像がつく。
このように、捜査機関が身柄拘束期間を延ばしているのは、赤間容疑者が自白していないことを如実に物語っている。にもかかわらず、捜査機関は赤間容疑者の認否を明らかにしていない。

第四に、捜査当局は自分たちの立てたストーリーに沿った情報だけを報道機関にリークしている。

ニュース等で報道を知った人たちは、赤間容疑者の犯行であると信じ込んでしまい、中には「私も目撃した」という人も出てくるかもしれない。捜査機関はそれを期待すると同時に、裁判員裁判になった時の準備を整えているのだ。

実のところ、目撃証言ほど当てにならないものはない。

いわゆる「5W1H」で反対尋問すれば大抵の目撃証人は綻びがでる。

「あなたが目撃したのは、どこからですか?」「何時でしたか?」「その時周囲の人たちは何をしていましたか?」「天候は?」「目撃したきっかけは?」「目撃した後、あなたは何をしましたか?」…等々、質問していけば、警察官や検察官に誘導されて証言の調書を取られた目撃証言の多くは崩れるものだ。

だから、検察官は、「目撃証人の調書を不同意にする(法廷に呼び出せという意味)と脅すと、途端に弱腰になる(これは事実だ)。

最期に、物的証拠がないというのが、あまりにも不自然だ。

点滴に空気を入れて慌ててすぐに退職したというのであれば、何らかの物的証拠は残っているはずだ。

被害者たちの病室の近くに容疑者の指紋くらいは残っているだろうし、点滴器具等から些少なりともDNAが採取されるはずだ。殺人事件容疑であれば、その点は徹底的に鑑識をしているはずなのに、まったく物的証拠が出てこないというのは不自然過ぎる。

私は決して(いわゆる)人権派弁護士ではない。

どちらかというと、左翼的な思想に辟易しているかなり右寄りの弁護士だ。

しかし、刑事法の大原則が「無罪推定原則」であることは熟知しているし、不当に長い身柄拘束の結果得られた自白が信用できないということくらいは知っている。

「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」というのは刑事事件の大原則だ。

間違っても無辜を処罰してはならない。

長期間の身柄拘束もしてはならない。

過酷な取り調べをしてはならない。

「日本の刑事司法はかなり絶望的だ」というのは、元東大総長で刑法学の大家である故平野龍一先生が述べた言葉だ。

これ以上、絶望させてほしくないと心から願っている。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年1月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。