薄れた外交の意識

外交意識が薄れるのは当然といえば当然でしょう。この2年間、日本にいる外国人は自国への帰国者はいれど新規流入は乏しく、現在においては実質鎖国をしています。当初1か月間としたこの鎖国措置も1か月延長されて1月末までとなっていますが、空港検疫で次々と見つかるオミクロン株保有者の実態をもって岸田首相は当面「開国」に踏み切るとは思えません。

林芳正外務大臣 外務省HPより

一度閉めた扉は開けるのにきっかけが必要です。なぜなら世論の圧力は非常に強く、ほんのわずか開けるだけでも大議論となるからです。ほんの少しでも開けておけば岸田首相はもう少し、先々の対応が取りやすかったのに自らの自画自賛に近い決断に国民の信頼を得たと自信を深めてしまっています。苦労はこれからやってくるでしょう。

政府レベルでの外交は更に細っており、国際会議も民間レベルでのビジネスの提携などもほとんど進まなくなっています。これは先々、極めて厳しい状況になるでしょう。

日本のバブル崩壊後、本業回帰を唱え、民間企業は外国での投資を処分、多額の損失を出しながら逃げるようにして消え去りました。まるで洗脳されているようで今でも鮮明に覚えています。92-95年頃でした。その頃まで私は数多くの日系進出企業とさまざまなお付き合いをしていたのですが、ものの見事に消え去りました。そこから始まったのが日本の存在感の消失です。Japan Passing ならまだしもJapan Nothing と言われた頃は屈辱の思いでした。

当地バンクーバーでは様々な出身国の人たちが勢力争いをしています。その中でアジア勢力に関して言えば86年の万博を機に香港人の投資が急増、当時、「ホンクーバー」と言われるほど影響力を生み、多くの産業が香港マネー主導となり、香港出身者は政界にも進出します。併せて、97年香港返還問題が盛り上がる95年前後は台湾人も急増します。が、97年の香港返還と共に香港人の存在感が急速に薄れ、2000年代になると香港人の新規流入はほとんどいなくなります。入れ替わるように本土系中国人の投資ブームや政界進出が目立ち始めます。

その間、韓国人も安定的に流入します。特に97年の韓国危機で「新世代移民」が大挙流入、彼らはビジネスで逞しさを見せ、当地で大きな成功を得ます。更に当地は北米最大級のインド人とイラン人コミュニティがあることでも有名。フィリピン人は介護の世界では市場を席巻しており、様々な人々が現地への影響力を持って社会や政治に働きかけ、より有利な展開を図ろうとしています。

一方の日本人コミュニティはより小さく、そして一体感は生まれず、ビジネスは花咲かず、大企業駐在員は逆立ちしても現地コミュニティと溶け込むことはなく、ひたすら本社の社内人事以外「我関せず」です。

このような状況に於いて日本の政治家や企業が突然諸外国でディールを持ち出しても現地側からすれば「遠い話」です。外国政府や企業幹部に聞いてみたらよいでしょう。「あなたは日本人の知り合いはいますか?」と。せいぜい知っているだけで何らかの強い関係を持つ人は極めてまれ。一方、日本の報道は日本人とのお付き合いがあれば「知日家」「親日家」と表現しますが、それは盛り過ぎというものです。

外国における日本の存在感は30年間、薄まる一方でした。その間、政府や企業の幹部は当然世代替わりしています。今では実質的なコンタクトはない、というのが実情でしょう。トランプ政権が出来た時、安倍首相(当時)は同氏とのコネクションを必死に探したとされます。普段の付き合いがいかに薄いかを物語る好例でしょう。

外交は一朝一夕では不可能です。今、岸田首相、茂木幹事長、河野党広報部長という外務大臣経験者が要職に就き、野望高き林外相がいます。しかし、誰も動かないし動く気配もありません。例えば林氏は王毅外相との会談のチャンスはあったのに政府は会談をすること自体が中国に寄り添うという捉え方をしました。それを言い始めたら外交などできないのです。

韓国では李在明、尹錫悦両氏が次の大統領の座を狙い、戦いを進めています。どちらかになった時、日本は会談し、外交レベルでのやりとりをする準備があるのか、これは疑問です。日韓関係は冷えるどころか、冷凍状態になっている今、政府レベルでの関係も没交渉を正とし、理解もしあっていません。

外務省が大使をはじめとする外交官を人事異動で新たに送り出した時、彼らはまず人脈づくりから始めます。しかし、ある程度の良い関係が出来た3年前後で必ず転勤となります。ではその人脈は次にどうつなげていくのか、といえばほとんど手探りです。大使や総領事は必ずしもリアルの引継ぎがあるわけではなく空席期間が生じることもしばしばあるからです。これが日本の外交の実態です。

外交とは相手国が好き嫌いにかかわらず、交渉を行うことを意味します。アメリカは大統領や国務長官は嫌な国と年中、交渉をしています。嫌な国だからこそ、話をするのです。味方はほっておいても味方ですが敵は崩さねばならない、これが外交の本質です。

ある意味、外務省は戦前のように政府とは一線を画した行動規範を作ったほうがいいのかもしれません。それと各地でローカルエキスパートや民間外交官を育成することを考えないと日本が蚊帳の外に置かれる状況がより厳しいものになるとみています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月10日の記事より転載させていただきました。