コロナが人間社会にもたらした影響は計り知れないものがあると考えています。オミクロン株は重症化しにくい、つまり弱毒化のようですが、感染力が強いことで世界中のコロナ規制が再び強化されてしまいました。株式市場の世界ではいくら弱毒化したとしても各国政府がロックダウンや行動規制を強化し、企業では従業員のオミクロン感染者増大で業務が滞り、その経済的影響は想定以上のものになりそうで、企業業績や株価への影響も懸念されています。
日本も外国人の新規入国停止という過去2年間でもっとも厳しい規制を敷いています。ここカナダは州ごとに規制が決まるのですが、そのルールもどんどん変わるため、チェックするのが大変です。BC州では12月にレストランでは1テーブル6人まででグループの集りは一切禁止、クラブなどの営業も停止、家の集りは10名まで、フィットネスクラブもシャットアウトという指示が出ました。またか、という思いです。
韓国では止まらない感染拡大に政府が飲食店への営業規制をかけましたが飲食店関係者による抗議活動が起きています。欧州ではドイツなどでのワクチンを強制化する動きに対して猛反対運動が起きるなど社会の分断化も表面化してきています。
最近、街を歩いていて気がついたのが自動車のクラクション。この州ではクラクションは運転ルール上、必要最低限に留めることになっているのですが、明らかに人々のイライラが募り、まるでニューヨークのマンハッタンと勘違いするほどの時もあります。しかもその怒りのクラクションは激しく、長く、そしてほかの車も共鳴して皆で鳴らしていることもあります。
コロナで多くの仕事はオンラインで出来るのだ、という意識が出来ました。ミーティングもオンラインで行うことが主流です。確かに物理的には可能なのですが、リアルミーティングとは明らかに違う成果になると思います。それはオンラインだと比較的一方通行の主張が多く、それに対する意見も複数人が同時にしゃべることが出来ません。ざわつきやひそひそ声など「場の空気」という反応もわからないため、主張する人は自分の意見が難なく通過したのだと勘違いします。
すると後日、その決定に対して不満を持つ人がぐずぐずと文句を言ったり、スムーズに事が運ばなかったりします。私がコロナ前に年間5回も日本に行っていたのは実際に会って話をする、あるいは手土産でも持ってよろしくと頭を下げる、といったごく当たり前の行為に数値では言い表せない価値があったからです。
人は顔を見て判断することも多いものです。よさそうな人だった、丁寧な人だった、素敵な服を着ていて好印象だった…といったイメージを植え付けます。ところがオンライン会議、しかもオンラインなのにマスクをして参加されると正直、顔の印象はまずわからないのです。
今年にはメタバースが普及し、自分の分身であるアバターが会議やSNSで活躍する方向にあり、本当の人間とアバターの差異を推し量らねばなりません。今よりなお難しい人間関係の構築を迫られるのでしょう。多分ですが、アバターはリアルの顔が見えないことでよりストレートな表現をするようになり、会議などでは収拾がつかなくなることも出てきそうです。
ギスギスする人間社会は今後、もっと広がるとみています。その時、超個人主義という表現が相応しいことになると思います。人々は自分だけの満足を徹底的に追求し、それが妨害されると暴力的になり、敵対心をむき出しにします。まるで猫が毛を逆立て尻尾を立てて怒りを表すのと同じです。
会えないならどうするか、私は電話だと思っています。直接しゃべることはオンライン会議で演説するよりはるかに効果的で相手のハートをつかむことができます。若い方は電話嫌いだというのはよく知っています。しかし、メールやSNSでは限界があるというのも事実なのです。アバターという自分の分身に何かさせるのは未来社会のようで格好よさそうだけれど、私は人間であるという自負を持たないと社会が何層にも分断化し、元に戻せなくなると思っています。
我々はそれになるべく早く気付き、対策を打たなければ心療内科は長蛇の人であふれかえることになるかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月13日の記事より転載させていただきました。