日経の「核心」に「成熟国家154年目の岐路」と題して論説主幹の原田亮介氏がなかなか興味深い記事を出しています。それは1868年の明治維新から1945年の敗戦まで77年、敗戦から2022年まで77年という一つの節目の年だというのです。もう一点、維新から戦前までの間で世論が盛り上がったのが1904年の日露戦争で戦後には1989年のバブル絶頂期があったことを指摘してます。それぞれの山と谷を考えると日本はそろそろ底打ち反転してもよいのではないか、というものです。
もちろん、上記の歴史的転換期はたまたまそうだったのですが、なるほどと思った次第です。
幕末から明治維新についてみると私が思うのは「キーパーソンの総入れ替え」でありました。徳川家が傍流になるのですが、維新で活躍した人たちも多くが脱落するのです。竜馬は維新前に死に、西郷隆盛は維新以降人が変わり、最期は残念な形でした。大久保利通もその後を追うように亡くなります。伊藤博文は維新の頃はまだ若すぎて主導はしておらず、彼は明治の人間です。その意味では生死はともかく、主役が大きく交代したのが明治維新であったともいえます。
終戦はもっとシンプルだったかもしれません。なぜなら戦前の主導権は軍部であり、それは東京裁判で裁かれたこともあり、ごくわずかの例外、岸信介や鮎川義介、笹川良一、瀬島龍三らが後世に残っただけでここでも大きなメンバーチェンジが起きています。
では20年代に日本では再びメンバーチェンジが起きるのか、これが一つの着眼点になるかもしれません。私は菅前総理が行った最大の功績は二階氏を幹事長から引きずり下ろしたこと、そして岸田氏が主要ポストを一年任期とし、同じ人が長期に留まる体質を変えたことは入れ替え戦の伏線になるかもしれないと思っています。
団塊の世代は2024年になると75から77歳になります。後期高齢者です。政治や企業活動に於いて日本の復興を支えた人たちも前線からは退くことになり、バブル経済の余韻をほとんど知らない1975年生まれ以降の40-50代が主軸になるのでしょう。
とすれば日本に転機が来るかどうかは今の40代の人がどのようなビジョンを持ち、社会をどう支えていくのか、その力量次第ということになります。私は期待する部分もありますが、正直、不安な気持ちもあります。それは40代の人たちが歩んだ時代があまりにもネガティブな社会の流れであったことで逞しさや強さが十分ではない点です。
給与は下落基調、非正規雇用が跋扈、マニュアル文化、スマホの社会、海外より国内、ぬるま湯、草食系といったイメージはどうしても残ります。その中で2000年代にMBAを目指して海外に出た人たちが新しい考え方をもって挑戦していることもまた事実です。その人たちが立ち上がるのか、ここが肝なのだろうと思います。
テレビもスマホも日本製は少なくなったけれどユーチューバーで飯食えるし…、という流れがあまりにも強く、いかに楽をして儲けるか、という若者が多すぎるのが気になります。明治維新の時も終戦直後も歴史上の人物だけではなく、当時の国民全てが熱く、不安と希望が重なり合いました。だけど、いま、熱い男なんて「暑苦しい」と言われて受けないでしょう。
「たちあがれニッポン」などという標語はよく見かけますが、カウチに寝転がってスマホだけで金儲けできると思っているのでは立ち上がることすらできないのです。
前掲の日経の記事にはこうあります。「やるべきことははっきりしている。政治家はどんな国にするのかを、企業経営者はどんな会社にしたいかを明確にし、大目標を掲げることだ。硬直化した組織や人事を根本から見直す必要がある」。また、「いま新時代の担い手の姿はまだおぼろげにしかみえない。ただ過去にならえば30~40代あたりが中心にならないと日本は変わらないだろう」とあります。
思うことは同じ。そして日本をどんな国にしたいのか、まずはここを再度、考えることが第一歩なのでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月13日の記事より転載させていただきました。